Colla:J コラージ 時空に描く美意識













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時空を超える美意識 シリピリカ 2021 https://collaj.jp/ ポンピラワーケーション 北海道 中川町 天塩川のぞむ中川町で、 ワーク(仕事)×バケーション(休暇)×エデュケーション(学び) 仕事をしながら休暇を愉しむワーケーション。豊かな森、川、空気に恵まれた北海道 中川町で、自然の恵みを仕事に活かし、環境と共に生きる人々の暮らしを学びました。 日本海オホーツク海中 川 町 北緯 44 度 49.7秒 中川町は人口約1500人。オホーツク海と日本海に挟まれた南北に長い町です。町の中央には天塩川、安平志内川が流れ、面積595平方kmのうち、約85%は森林です。中川町の位置する北緯44度前後には、ミラノ、トロント、ポートランドなど、文化・芸術都市が並んでいます。 旭川駅からは特急で約2時間20分。乗換なしで迷う心配はありません。 ▲ 道北の玄関口・旭川空港。 ▲ JR宗谷線木造駅舎の天塩中川駅。東京羽田空港から約1時30分。珍しい特急の停まる無人駅です。旭川駅へは空港バスが出ています。 ワーケションの舞台は、ポンピラアクアリズイング 円筒のホテル棟が特徴的な「ポンピラアクアリズイング」。町民も観光客も一緒になって楽しめる中川町の公共温泉です。「ポン・ピラ」とはアイヌ語で小さな崖のある場所を示します。 Vol.26 原作: タカハシヨウイチ 寧江絵 : タカハシヨウイチ 風はスピードをゆるめてココのほっぺにタッチ 広々したポンピラアクアリズイングのロビー。階段を上がった2階には天然温泉。中川町の特産品を紹介するコーナーもあります。 ワーケションの舞台となるポンピラアクアリズイングに、中川産の木でつくった2台のワーキングデスク(制作:TIME&STYLE)が運ばれてきました。TIME & STYLEの安藤勝人さんと、中川町役場産業振興課の高橋直樹さんの手によって、さっそく客室に運び込まれます。 階段を上がって2階にベッドルームを備えたメゾネットタイプ。 ホテル棟の客室には、洋室ツインルーム、和室のほか、ワーケーションに最適なメゾネットタイプもあります。もちろん全室WiFi完備でインターネットも快適。ワーキングデスクはメゾネットタイプに置くことになりました。 客室の窓にひろがる北海道の景色に胸が高鳴ります。隣接するオートキャンプ場「ナポートパーク」の向こうには天塩川が流れ、対岸には天塩山地が南北につらなります。 TIME & STYLEのワーキングデスクは、2階のベッド脇に収まりました。中川町産のミズナラ製です。ノートパソコンを開き、WiFiにさっそく接続しました。 7月の末、福島県須賀川で行われた『二人の円谷』 という講演会に出かけた。 1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルをとった円谷幸吉さんと、特殊撮影の元祖円谷英二さんについて、友人の知り合いでもある元須賀川市立博物館長が講演するという。 直前に感染者が急増し参加をためらうが「こちらは全く問題ない。終ってから自宅で食事ができるように準備している。ワクチンも打ったことだし、講演者の方も楽しみにしているから、息抜きにいらっしゃい」と、コロナニュースを吹き飛ばす明るい声に縮こまっている自分が滑稽に思え、思い切って出掛けることにした。久しぶりの東北新幹線、朝早かったせいもあり、東京駅はオリンピックの警備をするお巡りさんが目立つ他は人通りも少なくホームもガラガラ。自由席車両はほ とんど空いていて、三人がけを一人でゆったり、久しぶりの遠出に緊張していたが、いささか拍子抜けしながら車窓の景色を眺めた。 郡山で大宮の友人と合流、須賀川へと向かった。 駅には友人が迎えにきてくれていた。 コロナ騒動以来会うことかなわず、2月の福島地震で2階の本棚が倒れたまま、散乱した本を片付けに行く約束もそのままに、電話やメールで励ましあってきたが、ようやく顔を合わせることができた。すぐに会場に向い受付をした。すでに前列には地元の方だろうか、元気なご婦人たちが席を占めていた。集まっている方の年齢はまちまちで若い方もいて、須賀川出身の『二人の円谷』の話が始まるのを待っていた。 この1週間前、父の本棚を整理していたら、偶然、円谷幸吉さんのことが書かれていた「明治百年100大事件」という本を手にした。オリンピックでメダルを取りメキシコを目指すも、ご両親に遺書を残して亡くなったことが、最後の章で取り上げられていた。明 治100年を機に昭和 43 年(1968)に書かれたも のだが、国立競技場のトラックを走る円谷さんの写真 須賀川市の広報誌から。 開放のひととき も掲載されている。古い本の写真だから鮮明ではないが、競技場に響く歓声が聞こえてくるようでもある。大きな期待を一身に受けて、ひたむきに走り続けた円谷さんの姿がそこにある。スガさんではないが、東京オリンピック1964にはいくつか思い出に残っているシーンもあるが、円谷さんの自殺のことは正直あまり覚えていない。 講演は、健在される円谷さんのお兄さんからご提供された幼い頃の写真やマラソンを始めた頃の話、高校マラソンで才能を見出され、東北地域のマラソン大会での活躍、そして東京オリンピックで国立競技場に姿を現した円谷幸吉に歓喜するアナウサーを臨場感あふれる実況中継さながらに、「円谷幸吉」を締めくくった。 もう一人の円谷は、お馴染ウルトラマンの生みの親、円谷英二さん、特殊撮影の第一人者でもある。初めて須賀川に行った時、道路の両側にウルトラマンが並んでいて、田んぼ道にもウルトラマンがいるのには驚いた。須賀川がウルトラマン、円谷プロダクションの地だということをこの時知った。ウルトラマンについては詳しくないがたくさんのヒーローがいて、子供達に人気があると聞く。昔、職場で机の上にウルトラマンを置いていた人がいたのを思い出す。円谷英二さんの生い立ちや特殊撮影に至る話もあって、とても面白かった。好きなものを探究心と粘りで特殊撮影技術を開発し、世界に影響を与えたというのも興味深い。 講演後、講演者を囲んで友人宅の大広間で食事会、テーブルは一人一卓、ソーシャルディスタンスはしっかり守られていた。久しぶりのビールは手酌だが、前日から仕込んだという地元野菜タップリカレーと、手の込んだ料理に舌鼓しながら、地元偉人の続きを聞く。 開け放った窓から見える田んぼの緑、鳥のさえずり、美味しい空気に身も心も解放される。帰りには、採りたてのジャガイモ、トマト、かぼちゃをカバン一杯に詰め込んでくれた。 あれから2週間、友人から電話があった。「みんな無事です。コロナに感染していません。大丈夫ね!!」 人と会って喋って食べる。当たり前の日が早く来ることをひたすら願う。 養蜂家の生き方から学ぶ辻井淳也さん ▼辻井さんが中川で採った蜂蜜は、町のオリジナルブランド「森のはちみつ」に採用されています。 中川町には、林業、酪農、農業など、沢山の方が自然の恵みを受け、日々仕事をしています。そのなかで一カ所に定住せず、花の開花にあわせて移動するのが養蜂家です。夏の中川には全国から多くの養蜂家が訪れ、豊かな森の自然から沢山の蜂蜜が生み出されます。中川の街から山に入った共和地区で、辻井養蜂場の辻井淳也さんが蜜蜂の世話をしていました。中川町地域おこし協力隊の西田法子さん、村木栞奈さん、岡本直子さんと共に、養蜂家の仕事を見せて頂きました。辻井養蜂場の本拠地は兵庫県豊岡市ですが、初夏になるとトラックに蜂の巣箱を載せ、フェリーで海を超え中川町にやってきます。キハダ、アザミ、シナ、ソバと移り変わる花の蜜を採取するのが目的です。創業者の辻井東太郎氏は、戦後、甘い物の少なかった時代に養蜂をはじめ、1971年2代目辻井健一氏が継承。この場所の近くにはかつて辻井家の夏の家があり、夏休みには淳也少年も中川に来て養蜂を自然に手伝うようになったそうです。 この日の作業は、小さな巣箱から一回り大きな巣箱への入れ替えでした。蜂の数が増えてくると巣箱が狭くなるので、大きな巣箱に入れ替え、巣礎を追加して蜂の数をさらに増やします。この巣はまだ小さいため、今年はまだ蜂蜜を採らないで、巣を大きく育てます。「蜂は生きるために蜜を集めているので、余った分を頂く感覚」と辻井さん。 長く人と生きてきた西洋蜜蜂は、自分たちだけでは巣を持続できません。巣箱が過密になると女王蜂が外に飛んでいき分巣しますが、自然界ではスズメバチ、クマといった天敵や冬の寒さに耐えられず死んでしまいます。そうならないよう巣の密度を適正に保ち、外敵から守るのが養蜂家の仕事。常に蜜蜂と共に生きています。 西洋蜜蜂にはイタリア系や東ヨーロッパ系がいて、体色が違います。下は体色の明るいイタリア系の女王蜂。 巣の中に女王蜂がいるかを確認します。働き蜂は1、2カ月の寿命ですが、女王蜂は2年ほど生き卵を生み続けます。幼虫のころは働き蜂と同じで、人工王台と呼ばれるパーツに幼虫を入れると、働き蜂からローヤルゼリーを与えられ女王蜂が生まれます。成虫になると一度だけオス蜂と交尾します。女王蜂によって巣の性格が変わるので、おとなしくよく働く女王蜂の血統を増やすようにしているそうです。ちなみにオス蜂は交尾以外に役割がなく、冬になると巣から締め出されます。 ミツロウで作られた巣には、蜂蜜がぎっしり詰まっていました。 辻井養蜂場の巣箱の設置場所は、2、3km間隔で12カ所ほどあります。1カ所には数十箱の巣箱が置かれ、辻井さんは巣箱の状態を日々確認して回ります。蜂が増えてくると勝手な場所に巣を作ってしまうので、刃物で切り取ります。クマよけの電気柵を整備し、秋になるとスズメバチの見回りに追われます。 巣箱を置く場所は、養蜂家ごとに代々受け継がれています。他の養蜂家と蜜源が重ならないよう、注意しているそうです。養蜂をやめる人がいる場合は、養蜂組合で話し合い継承者を決めています。中川町の共和地区は、岐阜からの入植者が開いた場所で、斎藤茂吉の兄、守谷富太郎が拓殖医として診療所をひらいていた事でも知られます。辻井さんは空になった巣箱を車に載せ、今は佐久地域にある夏の家へ帰ります。 辻井さんの夏の家で、蜂蜜入りのレモンジュースを頂きました。中川には農薬を大量に使う田畑がなく、キハダ、チシマアザミ、シナと花が続き、越冬用のソバまで、途切れなく花が続くのがいいと辻井さん。採蜜のスタートは兵庫の淡路島にはじまり、4月に兵庫北部に移り、7月頃中川へ移動、11月に豊岡に戻り、冬は淡路島で越冬します。辻井養蜂場では、2代目健一氏の時から蜂蜜の直売をはじめ、蜜源のはっきりした質の高い蜂蜜づくりに力を注いでいます。 朝はキャンプ場の一画でワーキング。ポンピラアクアリズイングのレストラン「ウェルビー」ではカレーやそば、唐揚げ定食など手軽な価格で昼食・夕食をいただけ連泊に便利。 町の中心部には、コンビニやスーパー、飲食店も揃っていて、食事や日用品の購入に不便はありませんでした。 ポンピラアクアリズイングに隣接するオートキャンプ場「ナポートパーク」。休日には沢山のオートキャンパーがやってきます。 ポンピラアクアリズイングの裏を流れるトヨマナイ川では、ニジマスやヤマメが釣れるそうです。キャンプ場の管理を任されている「NPO法人ECOの声」菊田浩司さんが、キャンプ場を訪れたファミリーを川に案内していました。 少し川を遡ると、渓流の女王と呼ばれるヤマメが釣れました。中川の自然の豊かさを感じます。 安平志内川をさかのぼり、ポンピラアクアリズイングから30kmほど離れた板谷地区へ。菊田さんお気に入りの場所に連れて行って頂きました。 釣ったアメマスはリリースしました。 針に掛かったのは、大きなアメマスでした。アメマスはイワナの降海型で、この時期に川を遡上して産卵します。2004年に設立されたNPO法人ECOの声は、中川のお宝再発見と保護を目的に、きのこ狩り、釣り、化石採取などの地元の達人が、その魅力を伝えています。森の再生にも取り組み、ミズナラ、カツラ、ヤチダモ、クルミの苗木を育て植林を行ってきました。 先日、辻井さんにお会いした共和地区からさらに山中に入った板谷地区で、採蜜を行う辻井さんを発見しました。採蜜を行う巣箱は2段重ねの大型のもので、蜂の羽音も迫力があります。巣板を箱から取り出し、巣穴の蓋を刃物で切り取ってから遠心分離機にかけます。 ここで採れた蜂蜜はチシマアザミのもので、わずかに緑色がかっているのが特徴です。 安平志内川に浮かぶ化石採取で知られる小島。 ここで採れた蜂蜜はチシマアザミのもので、わずかに緑色がかっているのが特徴です。 前回の続き。 NYCのおしゃれなコンデ・ナスト社が発行するグルメ雑誌「エピキュリアス」編集部による「牛肉拒否宣言」。読者の皆様は、「なんか極端なことを言っているなあ」と感じた方も多いはず。でもこの宣言、ここに至るまでの背景があるわけで、それを知ると、見え方が違ってきます。「マイナーだったものが、ついにメジャーの一角に切り込んできたな」という感じに。 「肉食文化再考」=「これまでのあり方への反省」という流れは米国で今、それくらい底堅く、勢いがあります。この宣言に代表される訴えかけは、「肉食拒否→菜食主義へ」もしくは「より肉食を少な目にしよう」という形で、私たちに「日常の食生活の変革」を訴えかけるものです。事は単に牛肉だけの話ではなく、肉食全体そして、これを取り囲む大きな世界へと及んでいきます。今回からは、その主張の背後にある、代表的な論点を取り上げて、一体彼らが何を問題としているのか見ていきましょう。 まず、食肉用の畜産における「アニマル・ウェルフェア」(飼育動物の福祉=幸福と健康)という考え方について。本コラムでは以降、このカタカナの長たらしい言葉を避けるために、私の造語ですが「畜産福祉」という言葉を使用致します。初めてこの言葉に遭遇した時私は、「食用を前提に動物を育てているのに、そんなことを言うのは自己矛盾であり、偽善なのでは?」と思いました。しかし、巨大な体育館のような、ほこりの舞う薄暗い鶏舎で、3.4段重なる金網の狭いケージ(檻:おり)に数千羽・数万羽のブロイラーが押し込まれ、かろうじて首を突き出すブロイラーの前に様々な合成薬剤が配合された飼料が流れてくる写真や映像をユーチューブ等で見るようになってから、その考えが変わりました。 もうひとつ。ロンバルディア(イタリア)の養豚場で行われている、ある処置を知ったこと。プロシュート(生ハム)向けのブタの飼育で知られる会社です。それは「生後3.4日の仔豚の尻尾を麻酔無しで切除する」というもの。なぜそんなことをするのか。仔豚たちはやがて狭い豚舎にギュウ詰めされて大きくなり、ストレスにより気が立ったブタ同士が争い、相手の尻尾を食いちぎることで負傷し、結果としてブタが弱ってしまうから。ブタに限らず、動物の尻尾は、生存に欠かせない重要な役割を果たしている場合が多いわけで、それを……。行われるべきは尻尾の切除ではなく、ブタの気が荒ぶるほどのストレスを与えるような、ギュウ詰め環境の改善であるはず。 こうした「ランドレス・ミート」(大地知らずの食肉)を生産する、大規模養鶏工場と養豚工場の実態を知ったことが、考えるきっかけとなりました。菜食主義者ではない以上、自分が食べる牛やブタや鶏が、何を飼料とし、どのような環境で育ち、いかなる過程を経て最終的に食肉という形にされるのか。できる範囲でこれを知る必要がある。そう思って、あれこれ調べ始めました。その過程で徐々に思いが動いていき、最終的に「畜産福祉」という考え方に、一定の共感を覚えるようになっていきました。 手間と経費の削減を第一に考えた飼育動物のギュウ詰め。その排泄物処理を考えれば、床が土間(大地)では困ります。コンクリート的素材が望ましく、鶏ならば金網のケージ。それに加えて配合飼料への各種薬剤投入。「衛生管理」のためには、そうせざるを得ません。このやり方でこそ、はじめて 「行き届いた衛生管理の下、安価で安定した食肉の大量供給」が可能となる。確かに。しかし、太陽を浴び、雨にあたりながら、餌を求めて大地を這いずり回ってこそブタ。首を何度も振りながら地面の餌をつつくのが鶏。それこそが自然の姿ではないのか。という立場に立つ人々の目には、「人工照明の下、衛生管理の行き届いたギュウ詰め畜舎」は、「ひどい飼育環境」としか思えない。そんな不自然な環境で育てられた肉が「安価に安定して大量供給」されることが、果たして正しいことなのか? 畜産福祉を訴える側には、こうした視点がある。そこで彼らは主張します、現在のようなギュウ詰め鶏舎や豚舎の形態を続けるのであれば、せめて、次のような方向に向かってほしいと。 たとえ屠殺が前提であるにせよ、最後の最後まで飼育動物にとってストレスの少ない環境が保たれるべきであること。配合飼料については、伝染病予防の抗生物質や不自然な成長を促す成長促進剤や肉の色を「よく見せる」発色剤など、合成薬剤の配合量は必要最低限に抑えるべき。病気でもないのに抗生物質だなんて。最後にこれを食べるのは「私たち」なのですから。そして動物たちには、最後の処理手順を工夫して「苦しみ少なく成仏」してもらいたい。こうした過程を経て解体されることが、健康な食肉のおいしさに直結しているわけで、これ、感覚的な話ではなく、きちんとした研究結果が幾つも出されています。屠殺前後の処理過程の違いが、解体後の肉質の違いに大きく影響している、と。ここは「生と死」という奥深い問題への入り口ですが、今はここまでで。いずれにしても私自身は、こうして成仏したお肉を「おいしく頂戴致しました、合掌」という思いと共に頂きたい。これ、肉食人間の身勝手とは知りつつも、敢えてその点(おいしさ)まで含めての「畜産福祉の充実を」なのです。これ、理想論です。それでもなお、なんとかその方向へ、と願っているわけです。 この「畜産福祉」に関して、世界でも先進的な基準を定めているのが、 E U圏に代表される欧州諸国です。畜産福祉を求める動きが最も活発なのは、間違いなくアメリカですが、その一方で、工業化した畜産の現場に対する、具体的な法的規制&基準の厳しさでは、 E Uが一歩先行しています。その最新かつ重要な動きをご紹介します。 E U圏内最大の、そして世界でも最大規模の養鶏&鶏卵会社 EUROVO社。1950年代半ばに夫婦ふたりで創業したという同社は現在、創業の地イタリアをはじめ、フランス・スペイン・ルーマニア・ポーランドの各 国に工場を展開。養鶏&鶏卵および工業用卵粉等、鶏卵関連商品を幅広く提供する、イタリアを代表する多国籍ファミリー(一族経営)企業です。この6月、同社から、ある発表がありました。「本年2021年中に、イタリアの自社工場内で卵を産む雌鶏については、金網のケージから解放し、以後ケージの使用を停止します。また、 4年後を目処に、鶏舎内で鶏の動きを妨げるような仕切りや扉は、一切取り外すことと致しました。以後イタリア以外の弊社工場 でも順次同様の方向で進めて参ります」。これは、既に E Uの政策委員会レベルで提唱されていた、「2027年以降ケージの使用は全面禁止」という新規制案を先取りする動きです。同様の新基準策定への動きは、国際獣疫事務局( O I E)の勧告に盛られた指針(アニマルウェルフェアに配慮した家畜の飼養管理等)にも見られます。 E U R O V O社がこの勇断に至ったのは、消費者側の畜産福祉促進を求める声の高まりを前に、これに対応しない場合の企業イメージの悪化、さらには不買運動にもつながりかねない可能性を懸念したため、と言われています。冒頭触れた「これまでのあり方への反省を」という消費者側からの訴えは、米国のみならず E U圏内でも底堅い勢いがある、ということです。これにより今回 E U R O V O社が発表した鶏舎の水準(その前提である、今後施行予定の新 E U基準)が、先進国における養鶏施設の新たな基準目標となっていくものと思われます。この新しい潮流、はたして日本の業界と消費者にとって、どのような影響をもたらすことに なるのでしょうか。                      EUROVO社のホームページから。 以下次号へと続く。 中川町有林 ▼チシマザサの水切りカゴは、テーブルに底が付かないよう脚が付いているのが特徴です。 かごあみ絲の藤田沙織さんは、4年前、地域おこし協力隊の一員として中川にやってきました(当時の様子は『コラージ2017年9月号』で紹介)。その後、チシマザサのカゴなど実用性と美しさを兼ね備えた作品は、クラフトマーケットなどを通じ人気になります。「中川で色々なものを作るうち、ユーザーのニーズと自分の作りたいものとの焦点が絞れてきました」と藤田さん。昔からの水切りカゴを探して遠くから電話をくれる人もいて、「実用品」として求めてくれるのが嬉しいそうです。藤田さんはオニグルミの皮を自分で剥ぎ、丸めて乾燥させています。中川のものづくりは、材料の採取から始まります。 オニグルミの皮を採取するため、6、7月は林業者と一緒に山へ入り、町有林や民有林で幹や枝を伐採します。中川町では町、林業者、工房作家の連携と情報共有によって、廃棄されることの多かった樹皮やツル、チップにされる木などが、人の「手」の力によって、市場的価値あるものに変換されています。 ▲白樺の樹皮は平らに伸ばして乾燥させます。 ▼人気のパンカゴ。白樺とオニグルミがあります。 藤田さんは十勝のYoshida Leather Worksとコラボした名刺入れやポーチにも挑戦。他の作家との交流が新たな刺激となり、自分のしたいことが明確になるそうです。天塩中川駅や士別市のカフェで小さな展示会をひらいたり、各地のクラフトマーケットやWebイベントに参加したりと地道な活動が功を奏し、作品は確実に広まっています。中川町で毎年ひらかれてきた恒例のイベント「森のギャラリー」は、今年は9月にWebイベントとして開催される予定です。環境調査会社につとめた体験から、森の木を有効活用したいと考えた.橋綾子さんは、2014年、地域おこし協力隊として中川町にやってきました。木工を修行した経験を活かし鉢や皿をつくり始めた高橋さんは、木の根にちかい部分や枝分かれの部分など、今まで森に放置されてきた「未利用材」を活かす手法を開拓してきました。生木のうちに特殊な刃物で鉢型に削ってから乾燥させ割れや反りを防ぐなど、未利用材の個性をひき出し、その魅力を伝える工夫を続けています。 以前は紙の材料や燃料用チップにされていた木材が、長く使われる生活器に生まれ変わります。 木旋盤で削り出した木の鉢や皿。複雑に入り組んだ杢目から、中川の自然のなかで、木が長い年月をかけて生長した時の流れを感じられます。ウッドバーニングで模様を描いたり、ノミの削り跡をつけた作品もあります。「中川には豊富な木と山が身近にあり、林業者とも気軽に話ができて、こんな木がある、こんな事があったという話題が創作のヒントになります」と高橋さん。 ▲森にひかれ木工を学び、移住する過程を綴った高橋さんの著書『森のつくりてになりたくて』(クナウマガジン)。 いま高橋さんは、木のものづくりの楽しみをひろく体験してもらう試みをはじめています。直径13cmほどの小皿を削るワークショップに参加させてもらいました。ホウやカツラを皿型に加工した板を彫刻刀などで削り、思い思いの模様を描きます。9月開催の「森のギャラリー」では、WEBを通じた制作ワークショップを行い、キットとして通信販売を開始する予定です。 削り終わったらサンドペーパーで表面を整え、食用のクルミオイルを塗って仕上げました。 無心にサクサク木を削っていると、木の香りがふわっと漂い、気持ちがリラックスしてきました。高橋さんが中川に移住して7年。結婚や子育てを経験し、ものづくりにも変化がありました。「今はベビー用の食器を試作しています。数年前までは作品性を追求していましたが、今は安全性、耐久性といった点も大切にしています。産休で作れない時期があったことで、作りたい気持ちがより高まりました」。中川町は保育施設や子育て支援が充実し、仕事と育児を両立しやすいそうです。 小林 清泰アーキテクチュアルデザイナー ケノス代表 コロナ禍が動かす新時代スーパーマーケット 7月末に2020年度の小売業者ランキング500社が流通業界新聞で発表され、スーパーマーケット業界(以下SM)が ”コロナ禍特需”ともいえる売り上げの伸びを、昨年に続き示しました。その一方でデパートや総合スーパー(昔でいえばダイエーのような業態)が昨年同様大きく売り上げを落としました。一人勝ちだったコンビニエンスストアさえも、売り上げの前年割れを起こしています。1年半以上続くコロナ禍で、暮らし方の変容が始まったのです。その原因をいくつか挙げてみましょう。 ■非常事態宣言が五月雨式に何回も発令され、消費者は感染リスクを避ける自衛手段として買い物回数を減らしました。色々な店をまわらず一カ所でまとめ買いしようと心がけたこと。そのため来店客数は「減」ですが、前年度と比べ買い上げ点数は「増」で、その結果客単価「増」になったと業界専門誌でも述べています。 順 社 名 売上高  伸び率 1 イオン 8兆6 039億円 ▲ 0.0 2 セブン&アイ・ホールディング 5兆 7667億円 ▲13.2 3 Amazon ジャパン 2兆 1848億円   25.2 4 ファーストリテイリング(ユニクロなど) 2兆 0088億円 ▲12.3 5 ヤマダホールディングス(家電量販店) 1兆 7525億円   8.7 6 パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(ドン・キホーテなど) 1兆 6819億円  26.6 7 ビッグカメラ(家電量販店) 8479億円 ▲ 5.2 8 ツルハホールディングス(ドラッグストア) 8410億円   7.5 9 三越伊勢丹ホールディングス   8 160億円 ▲ 27.1 10 ケーズホールディングス(ケーズデンキなど)   7 925億円   11.9 11 エディオン(家電量販店)   7 681億円   4.7 12 ライフコーポレーション(スーパーマーケット)   7 591億円   6.2 13 エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急デパート、イズミヤなど)   7 391億円 ▲ 17.6 14 ヨドバシカメラ(家電量販店)   7 318億円   3.9 15 バローホールディングス(スーパーマーケット)   7 301億円   7.7 16 ニトリホールディングス   7 169億円 11.6 17 コスモス薬品(ドラッグストア)   6 844億円 12.0 18 高島屋   6 808億円 ▲25.9 19 イズミ(スーパーマーケット)   6 797億円 ▲ 8.7 20 ローソン   6 660億円 ▲ 8.8 ■ 各企業が社員の感染を防ぐためリモートワークに切り替えた事。家で過ごす時間が増え、生鮮食品や調味料を買込み自前で調理する人が増加しました。 ■ レストランや居酒屋等、外食や外呑みに行きにくくなった分「家呑み」が増加し、酒類の売上も右肩上がりに。SMのお酒売り場は、町場の専門店を軽く凌駕しています。それに連れておつまみ系嗜好品等も好調です。例えばチーズ、小パックのドライフルーツ、ナッツ類が以前に比べて売り場に豊富に並べられています。 小売業 売上高ランキング( 日経 MJ 7月 28日より抜粋) ■コロナ禍前からその傾向は始まっていましたが、「ウー バーイーツ」などデリバリーを使う機会が格段に増したこと。食品系を扱い始めたアマゾンなど EC(イーコマース)では、ストック出来る飲料やお米(重量が有るもの)が売れ筋の上位を占めています。 2年前までは想像も出来なかった「コロナ禍」は、日本人の社会的な価値観を変えると思います。21世紀になって20年以上経過しても「労働集約型が仕事だ。みんな一緒に同じ方向を向いて」という20世紀的な価値観を変えることが出来なかったのが日本の実情でした。大流行が始まったデルタ株の登場で、「感染症」の怖さを国民がやっと理解しつつある状態といえるでしょう。 感染リスクを回避する手段として思いもかけないリモートワークを体験し、通勤時間ゼロ、気持も時間もゆとりが生じて家族との触れ合いを取り戻し、本来の自分に立ち戻って、人生や社会のありたい姿に思いを馳せることができる様になった、人間性を回復した、と感じる方が多いと想像しています(楽しさ、美味しさに目覚める)。一定グレード以上の商品を提供する SMが、言い換えれば「上質な食文化」を提供出来るチェーンが改めて支持 ヤオコーが出店した「Foocot(フーコット)」飯能店 されていることは、その現れであると捉えています。 この様に好調な業態がある一方で、「人流系」の鉄道や各種交通、「娯楽系」の劇場や映画館、「観光、宿泊系」のホテル業や旅行代理店、「外食系」の料飲業などが大きな打撃を被っています。コロナ禍の収束が見えず、未来の展望がままならない不安、実所得の減少等で、受けたダメージは量り知れないと思います。この状況を切り抜けるには、暮らしにかける経費を今まで以上に「節約しなければ」と財布の紐はより固くなるでしょう。 ドラッグストア業界は、魚、肉、野菜果物の生鮮3品および惣菜の扱いは苦手ですが、冷食系、インスタント食品、お菓子など鮮度管理を必要としないものを SMよりも低価格で販売し、集客の目玉にしてきました。しかし、ドラッグストアには「しっかりした食事用の食材」を求めることは今のところはできません。SM業界は、より低価格な商品を求めるニーズが、今まで以上に広がる事を見越して研究を重ねています。従来の「卸を兼ねた業務スーパー(ビッグポーションパック中心)」的なディスカウントストアではなく、一般家庭向け(スモールポーションパック中心)の生鮮売り場と低価格販売のグロサリー売り場を持つ、新しい視点で考えられた食品中心のディスカウントストアが生まれています。この業態は昨年暮れあたりから、郊外に数店営業を開始しました。今後各地に出店されるであろうチェーンを2つほどご紹介しておきます。 ■「 Foocot (フーコット)」飯能店 今年の8月3日に、圏央道「狭山日高インターチェンジ」から車で10分程の場所にオープンしました。ドラッグストア「マツモトキヨシ」や100円ショップ「ダイソー」が出店している「NSC(ネイバーフッドショッピングセンター=近隣型 SC)」 の元ス−パーの跡に、いってみれば居抜きの形での出店です。テナント的出店は大きな建築費がかからず、少ないコストでお店が作れます。商品をディスカウントプライスで販売するためには当然の策です。店内レイアウトはほぼワンウエイコントロール、広々とした主通路 (コロナ対策も兼ねてか)が印象的です。親会社は埼玉に本社がある「ヤオコー」です。年商は約5100億円、SM専門業としては国内上位にあります。4.5年前、横須賀では有名なディスカウントストア「エイヴィイ」を買収して、オペレーションを研究していたのだと思います。 ■「Palette!(パレッテ)」高座渋谷店 神奈川県大和市の小田急江ノ島線高座渋谷駅から徒歩1分程の場所に、昨年12月オープンしました。既存の 2 「Palette!(パレッテ)」高座渋谷店 階建て商業施設の1階テナントです。親会社は国内 SMトップの「AEON(イオン)」ですが、マスコミも含め店舗の情報を外部へ公開していません。ここ以外にもローコストなフリースタンディング(単独店舗)を早くも2店舗、比較的近い大和鶴間と横浜鶴見区に出しています。キャッチフレーズとして、『パレッテ』は新生活様式に対応した、未来型ディスカウントストアです、と謳っています。コンセプトは”Quality! ”高品質の商品を低価格で ”Story! ”  物語の宿る、商品開発力 ” Surprise!“ 驚き、感動の有る価値提供となっています。今伸び盛りの企業の理念や PB志向をかなり意識したコンセプトワードと受け取りました。この3店舗は実験店舗でしょう。出店地域も比較的近くドミナント(支配)的ですから、細部分析とその評価をしやすいのではと感じました。またディスカウントストアの本場アメリカでも、ドイツ資本の 2社が、東海岸側と西海岸側と双方で出店攻勢をかけています。機会があればそのお話もしたいと思います。自然の力が利益率を高める中川の街の中心部から北西へ4kmほどの所に、丸藤英介さんの丸藤牧場があります。丸藤さんは「放牧酪農」を実践するため、2008年、中川町の牧場を購入し 新規就農しました。道に隔たれない一体の平地が40ha、全体で70haの規模があ放牧酪農の魅力丸藤英介さんり、牛舎や搾乳場などは、以前の牧場の建屋を活用しています。 乳牛の飼育方法は主に、牛舎内で牛を飼う「舎飼い」と、放牧地(牧草地)で自由に過ごす「放牧」に分かれます。日本では舎飼いが大半ですが、輸入飼料からの脱却、環境負荷の低減、アニマルウェルフェアなどの点から、農水省からも放牧酪農への転換が推奨されています。丸藤牧場は就農時から14年にわたり放牧酪農をつづけ、いまは経産牛40頭、育成牛20頭を飼育しています。 牛乳の香り、味は牛の食べ物によって大きく変わります。配合飼料の割合が多いとトウモロコシやフスマの風味が出てくることもあるそうです。4つある乳牛の胃は計200リットルもあり、沢山の微生物によって牧草などの飼料が分解されます。その養分は血液に吸収され、乳房の乳腺細胞によって牛乳に変換されるので、牛乳は牛の血液からできているともいえます。 生まれて6カ月ほどで丸藤牧場の子牛は放牧され、自分の意思で牧草を探し行動するようになります。一方、牛舎で長い間育った牛をいきなり放牧しても、牧草を食べない場合があるそうです。 ▲ フンにハエやコガネムシがたかり。卵を生んで幼虫が育つと、土に穴をあけて蛹になり、地盤を改良してくれます。 牧場の経営を支えるお母さん牛(経産牛)たち。首には一頭ごとに個体管理するための首輪を付けています。健康状態などが記録され、パソコンで管理されます。 自然の力を経済の力に変える環境負荷の低減やアニマルウェルフェア(動物福祉)の実践は、牧場の経営効率と相反すると言われましたが、自然の力によって労力を軽減し、経済効率を上げるのが、放牧酪農の考え方です。牧場の労働の中で、フンの処理と牧草の草やりは最も大変ですが、放牧酪農では放牧地で牛がフンをしてくれて、草やりの作業も減るので、舎飼いに比べ労力 放牧農法 が4割少なくなるそうです。また機械の稼働時間も短くなり、耐用年数もあがります。今年はアブなどの吸血昆虫が多く気温も高いため、牛たちには厳しい夏となりました。丸藤さんは日々の天候や気づきをメモして、大切に保存しています。放牧酪農は気温の変化や雷、雨、雪の影響を受けやすく、牛が熱中症にかかる危険もあり、長年の記録がトラブル回避に役立ちます。経産牛と別に管理されているのは、出産をひかえた「乾乳期」の牛たちです。丸藤さんは人工授精も自分で行い、最近は妊娠鑑定のエコー装置を導入し、妊娠をいち早く確定できるようになりました。日射を防ぐ場所として、ヤチダモ植林地を電気牧柵で囲い整備しましたが、なかなか入ってくれません。アブが多いからでしょうか?快適な場所を見つける牛の自主性を尊重しています。 丸藤さんがなでているのは、ホルスタインにブラウンスイスをかけ、さらにジャージーをかけた三元交配の珍しい牛。 !! 欧米での経緯を知りながら先手を打つことの出来ない日本。賢い国のはずの日本がこの二年間、感染対策としてオリジナルな方法論さえ見い出せたためしがございませんね。いくらオリンピックで金メダルを沢山獲 !! 得したとしても、これでは国民の体力は弱まるばかりです。出るな出るなの呪文を繰り返すだけ。家庭内感染も増え始めてるのに、晴天の猛暑の頭上をジャンボ機が低空飛行していては飛行機の騒音が凄くて、窓も開けられません。 室内の換気ができないのですよ! これでは感染者数の増加を助長していることにならないでしょうか? それこそ東京の感染者が増え続ける原因の一翼を担っているワケです ワクチン接種についてもさまざまな政府の思惑が見え隠れしませんでしたか? ソーレ、職域接種ですよーと号令したかと思いきや、数が合わないの、捨ててるだのと言い出す始末。今や SDGsの時代だっていってるのに つい最近政府から、苦し紛れの応急処置として飛び出したのが、旧こどもの城(青山円形劇場)の、酸素ステーションである。本来ならばすでに公共の病院や大学病院の近くに、このような施設が臨時設置されてしかるべきです。それが自然の形だと思う。なぜ青山の人通りの多い場 その17 青山かすみ 所に白羽の矢が立ったのか、その理由をお尋ねしたい。このこと自体がデルタ株の感染爆発を引き起こす原因になりかねません。国民いじめを超えた冒涜行為です。国が間違って行う政策にノンと言えぬマスコミや国民全員が「裸の王様」になってはいませんか? 大手新聞社、民放各局などはもっとオリジナリティ色を出すべきなんじゃない? 怖.い広告代理店さんやスポンサーさんになにか言われちゃうのかな? ギャーギャー騒いではるだけのお笑いタレントさんに番組づくりを頼るのは、もういい加減卒業しましょうよ。 今夏は全国的に炎天下でのオリンピック開催となりましたが、選手やスタッフにとってこのような暑さは相当な身体的負担があったと思います。コロナ禍でのマスク着用が必須でしたし。スポーツとか芸術の世界規模のお祭りは、やはり秋開催がシックリするのではと思いました。 来週にはパラリンピックも始まります。人流の抑制を求めながらの開催が 果たして良かったかどうかは、 カ月後の感染数にまたしっかり現れてくる でしょう。地球規模の温暖化もとどまるどころか、コロナ以上の猛威を振るいはじめています。 コロナと天災+オリンピックなどなどさまざまな困難が身の回りに降りかかる 2021年にも秋の風が近づいてきたようです。線状降水帯に覆われた日本にとって、今まで忘れがちだった国土の安全という危機に対しても、本気で、長期的視野の科学と思考を駆使し日本ならではの発想のもと改善策を見出していただきたく存じます。 1 ポンピラ サイクリング 中川町では森や丘陵の林道、林の中の一本道など、様々なシチュエーションのサイクリングが楽しめます。ナポートパーク内の中川町観光協会では、マウンテンバイク、ロードバイク、クロスバイクのレンタルを行っています。観光協会事務局長の日置友幸さんに、おすすめのサイクリングコースを案内してもらいました。 市街地の東側に広がる丘陵地帯は、かつて町営の放牧地として利用されていました。緑に囲まれた林道を抜けると、広大な景色のなかに緩やかなアップダウンを繰り返す丘陵の道が続きます。 「ナカガワマニアマップ」は、おすすめのサイクリングコースを紹介。中川観光協会などで配布しています。観光協会では、カヌーや釣りガイドの紹介も行っています。 早朝のパンケ山、ペンケ山。 朝4時過ぎ。まだ暗いうちから40頭の母牛の搾乳が行われます。牧場の牛には、育成中の子牛、2歳くらいの初妊牛(初めて妊娠した牛)、経産牛(出産を経験した牛)、出産60日前から搾乳を止める「乾乳期」に入った牛がいて、搾乳を行うのは経産牛になります。丸藤さんの朝は四輪バイクに乗って、放牧地で草をはむ牛たちを集めることから始まります。 牛がぬかるみに足をとられたり、ヒズメを傷めないよう、牧道は細心の注意をはらって造られています。群れの先頭にたつ行動的なリーダー牛は、新しい牧区に行ってみたり、どんな牧草が生えたかチェックしたりと、群れの行動に不可欠な存在です。そういう牛を手放してしまうと、群が動きづらくなることもあるそうです。 ▲牛たちは、自ら搾乳場に入っていきます。 搾乳室では丸藤夫人が牛を待っていました。オートタンデムパーラーと呼ばれるタイプで、牛が通路に入るとセンサーが反応してゲートが空き、牛がゲージへ横向きに入ってきます。搾乳を行っている間に約2kgの配合飼料が投入され、牛にとって栄養価の高いおやつになります。搾乳が終わるとゲージを開き、牛は搾乳室から外に出ていきます。ゲージの数は6カ所あり個別に開閉できるので、搾乳に時間のかかる牛や、投薬中の牛など、個々の状態にあわせて作業をすすめられます。 手で前搾りをしてから、丁寧に拭き取り、搾乳機(ミルカー)を取り付けます。 搾乳と同時に牛の首につけた「リスポンダー」が牛の個別データを送信し、一頭ごとの情報をパソコンで管理できます。牛の状態にあわせ配合飼料の量を調整したり、「乾乳期」の牛や抗生物質で治療中の牛からは搾乳しない安全装置を備えています。抗生物質が混入すると全ての牛乳が廃棄されてしまうため、何重にも混入防止策を設けているそうです。 ▲搾乳量や牛の状態をモニターでチェックできます。 ▼搾乳機の動力となる真空ポンプ。 搾乳機(ミルカー)は真空ポンプの力で動いています。またゲージの開け閉めも真空の力で行います。ポンプに不具合があると、搾乳中に痛みを感じたり、細菌が混入して乳房炎を招いたりするので、一年に一度、定期的な点検を依頼しています「安全で質の高い牛乳を生産するためには、飼料、搾乳機械、牛舎、牧道など、牛に近いところほど大切」と丸藤さん。 搾乳された生乳はステンレス管を通り、ステンレス製タンク(バルククーラー)に直接入ります。人の手や外気に触れず、スムーズに冷却するのが鮮度を保つポイントです。牛乳を冷やす冷却器の排熱を水で回収して、深夜電力式温水器に利用しています。タンクの生乳はホクレンの集乳車によって2日に一度集められます。 ▼回転するブラシをかゆい所に当てています。 丸藤さんは牛舎(フリーストール)を整え、搾乳を終えた牛たちを迎えます。乾燥した牧草を食べたり、横になったりと、牛たちは思い思いのひと時を過ごします。丸藤牧場の牛は一頭あたり年間7トンほどの牛乳を生産します。平均より少ないものの、配合飼料が少ないため利益率は高くなります。また放牧によって蹄や乳房炎、代謝系の病気が減り、治療費も節約できます。平均して乳牛の生涯は5.7年ほどですが「10歳位までは健康で、あたりまえに働ける環境を整えてあげたい」と丸藤さん。 発情期やトラブルを発見をするため、丸藤さんは牛舎の4隅にネットワークカメラを設置しました。取り付けを自分で行い、業者に頼らずにメンテナンスを行えます。 フリーストールでは、整腸作用のある乾燥した硬めの牧草を与えます。一方、配合飼料は栄養価が高いお菓子のようなもので、割合が多すぎると胃がもたれ体調を崩しやすくなるそうです。ベッドに横になった牛は、牧草を消化するため反芻をしています。牛は柔らかい場所で寝る習性があり、牛舎で過ごす冬場は寝藁をベッドに敷いて居心地をよくします。 いま丸藤牧場では、3、4代目の牛が活躍しています。お腹が立派で体格が大きすぎず、丸藤牧場にあった牛を揃えるため自家採卵も試みました。「自然の力を最大限利用することで、牛の健康と利益を両立できるのが放牧酪農の魅力です。会社員に比べ休みは少ないけれど、酪農ヘルパーに頼んで家族旅行にでかけたり、一定の時間を家族のために使うことでいい循環が生まれます」と丸藤さん。子供たちも牧場の仕事を手伝うようになり、将来は牧場を継ぎたいと言っているそうです。 ドラゴンシリーズ 82 ドラゴンへの道編吉田龍太郎( TIME & STYLE ) 昔見た風景が蘇る時 30 ヨーロッパ出張から戻り、羽田空港に到着して飛行機のタラッ プを降りて、久々に帰国した日本の外気の少し湿った空気を通過し、エアコンの効いた空港施設の清涼感のある空間に入ると、日本に戻ってきたと言う安堵感が湧き上がってきます。 久しぶりに帰国する度に毎回同じような感覚になるのですが、その時に自分がやはり確固たる日本人であり、日本と言う土地と空気を吸って生きてきた動物なのだと実感するのです。海外に長く住んでいると日本人であってもその国の空気を我がものとして懐かしく感じるものですが、今でも時々ドイツに到着してベルリンの街を歩いていると 20代の自分が蘇り、遠くに離れていた場所に自分が溶け込んでいるように錯覚してしまうことがあります。 年以上前に歩いた街並みは、その時のままに自分が立ってい て、自分が歩いた景色の中に、暗くて心細くてやるせない、当時 の不安感がそのまま存在するのです。その感覚を研ぎ澄ますように自分の心の中に深く潜ってゆくことで、そこに在った若い時の景色と感情がそのままに甦ります。 暖炉の石炭が燃える街の匂い、煤のこびり付いた深い漆黒の壁の弾痕は、もっと前にその場所で繰り広げられた時間を刻み込んでいます。しかし、ふと我に還り、頭を振って目を覚まして景色を見ると、その弾痕はその場所にそのままにありながらも、街ゆく人は誰もその時代の痕跡に気が付かないのです。 街の時間とはそういうものでしょうが、私たちは時間と共に大切なものをその場所に残して、過去の自分と訣別し、自分の大切なものを忘れ去ってしまう。そして時々、その場所を通過する時にふとその痕跡が私たちの記憶の栓を外し、その時代に連れ戻してくれるのでしょう。 若い時代に経験したことはその当時は目の前にあるものを無駄に追いかけるだけの時間だったように感じますが、その無駄こそが、自分にとって何か大切なものを感じ取るための触媒であったように思います。計算出来ない感覚的な直感に頼った行動は、間違いなく根拠がないものの、その無根拠こそが自分の根本から発せられたものであるかのように感じるのです。誰しもそんな直感を持っているのだと思います。 若い時間だからこそ、失敗だけの時間だったと思います。そしてその当時、何でもないような経過しただけの時間がどんなにも情緒的な時間だったのか、自分の今の感覚を支える根源的な経験になっていることを今になってようやく気づくのです。 支離滅裂で行き当たりばったりの時間は、人生をただ浪費した無駄だと、当時いつも自己嫌悪の中で佇んでいるばかりでしたが、それこそが本当に還らない時 間なのです。そして現在の自分の行動や判断を考える時に足りないものこそが、若い時に出来た直感的な行動だと感じます。 今の自分は大したリスクのないことしか判断できなくなってしまっている。若い時の決断と行動を同じように出来たら、本当にスリリングで楽しい毎日が存在するはずだと感じるのです。 賢明で正しい判断とは弱気の判断であり、それ以上に環境を成長させることには繋がらないのです。自分のくだらない持ち物に固執して拘ってゆくことで、人はどんどん自由な発想や行動ができなくなるのです。捨身の覚悟が持てない時に歳は関係なく人間は老いてゆくのだと思います。 時々、また苦しくて厳しい何も無い時代に戻りたくなる時があります。部屋の中で.き苦しみながら何も出来ない自分さえも捨てることが出来ず、本当に自暴自棄になっていた時間。今でも時々夢で見るのは、そんな先の見えない自分が荒れ果てた生活をして苦しんでいる夢です。苦しい夢ですが、なんだかその夢は愛おしくもあるのです。 【 Webマガジン コラージは、オフィシャルサポーターの提供でお届けしています 】