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4月号 羊の毛 2015
http://collaj.jp/
北方文化圏に暮らす
時空にえがく美意識
北海道をはじめ樺太、シベリア、モンゴル、朝鮮半島にまたがる「北方文化圏」は、古代から交易などで密接な関係を築きながら、厳しい気候に対応した文化を育んできました。今月は、遅い春を迎えた北海道で、北方文化圏の今を担う人々の暮らしをご紹介します。旭川空港近くの田畑では、3月中頃から黒い融雪剤が蒔かれ、大地に不思議な模様を描き始めます。
旭川市北門町の「川村カ子トアイヌ記念館」は、大正 5年に設立された日本最古のアイヌ資料館です。庭先には全国から集ったボランティアの手で建てられたアイヌ民族の住居「チセ」があります。▼チセの内部(嵐山公園「イヌ文化の森・伝承のコタン」にて)。囲炉裏の周りには、笹やゴザを敷いていたようです。
旭川のチセは、周辺で採れるクマザサで葺かれています(茅葺きの地域が多い)。笹で厚く覆われたチセは積雪に耐え、全体を雪に覆われます。土間に直接囲炉裏を設け、1年中火を絶やさないことで地面に蓄熱したという説もあります。
道路から玄関まで屋根付きのデッキが続きます。スキー道具や除雪機、薪置き場にもなっていて、雪国には欠かせないスペースです。
コラージ連載『神々のデザイン』の著者・石井利雄さんは、旭川市街を望む小高い丘陵地、神居の丘に暮らしています。北海道東海大学の教授として、歩くスキーや自然の中でのキャンプ活動などにより、デザインや建築を学ぶ学生たちに雪国の美しさ楽しさを伝えてきました。今は福祉関連学校の教育を通して、高齢者と身体の関係を研究されています。▼ 40年前から使っているスキーストック。
昭和 10年、カラフト西海岸の街に生まれ石井さんは、浜にマスやニシンが沢山押し寄せ、足の踏場もないほどという豊かな大自然の中で育ったそうです。親が作ったスキーを履きこなし雪原を遊び場としながら、戦後はロシアや中国、朝鮮半島の人々と共に多民族の入り交じるなかで少年期を過ごし、帰国後は基礎スキーの指導者としても活躍しました。
薪ストーブのまわりには、薪が積み上げられています。家の近くで採れる野イチゴを凍らせた天然のシャーベットを頂きました。
▲ 薪は乾燥に時間がかかるため、一昨年の薪から使うそうです。
冬の暮らしの中心には、いつも薪ストーブがあります。レンガ敷きの床に据えたストーブの火が途絶えることは滅多になく、山荘風の家全体を暖め続けています。森林組合に依頼した薪用の丸太は、乾燥した冬季に伐採され春先にトラックいっぱいに運び込まれます。斧や薪割り機で薪を割る大切な作業は、春から始めなければ間に合いません。
▼第二の心臓といわれるふくらはぎを刺激するため、石井さんは高齢者でも簡単に血行促進できる道具を開発しました。白樺の皮は何より優れた焚付になります。「自然の造形に勝るデザインはない」と石井さん。「全ての生命は自然から生まれ、生き残るため精一杯の闘いをして今の形にたどり着いた。その美しさや合理性に、人の考えは敵わない」といいます。自宅から見える景色だけでも、一日中飽きることはないそうです。▼向かいの森に佇む神居神社。明治の頃、豊作を願う開拓者たちによって創建された旭川では歴史ある神社です。
薪ストーブの熱気は吹き抜けから2階へあがり、個室に開けた通気窓をつうじて各部屋を温めます。三角屋根の頂点には天窓があり、熱気を循環させるための天井扇が回っています。薪ストーブだけで家全体が温まるそうです。浴室に設けたサウナは冬の楽しみのひとつ。雪の森を眺めながらゆっくりクールダウンします。生ゴミのコンポスト。
キッチンからでる生ゴミは、庭先に置いたコンポストで分解し、自家菜園の肥料にするそうです。ここ数年石井さんを夢中にさせているのが、コラージにも寄せて頂いた自然風景の撮影です。「若いころから山や森の風景は飽きるほど見てきたけれど、写真に撮ってみると今まで何も見ていなかったことに気づいた。葉っぱや土、水、山々の景色に、こんなに豊かなグラデーションがあるのかと、新しい色を発見して一日中飽きない。意識しなかった過去の残像が蘇り、自然の深みを感じとれるのがうれしい」と語ってくれました。
真のピンチは大きなチャンス好調こそが真のピンチ
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ンスと感じ取った。これまでの 年間の会社としての経験値からすれば大局
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買掛担当が不在となってしまった。年度末の請求書の山が日々、着々と積上
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ってゆく様子を横目に、どうしよう ?と思案した。経理の仕事は特殊な内容のものが多く、会社の事業内容や取り扱い製品や材料に精通していなければ、
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経理の経験者でも仕分け作業や支払い業務を正確に遂行することはできない。社内の他部署のスタッフから誰かを選任するべきか、また時間を掛けて新
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規採用するべきか、なんて、そんなことを考えているような余裕は無い。それにこれから 5月の決算書提出までが 年間の中で経理業務の最も業務量の多い時期でもあり、経理担当者不在はお取引先や仕入れ先に支払いが滞るような緊急事態だ。幸いなことに 年間勤めてくれた前任者がしばらくの間は時々手伝ってくれると言ってくれる。しかし、本質的には誰かが日々の業務を遂行してゆかなければ会社機能は不全に陥ってしまい、支払い業務が滞り、大きな会社の信用問題にもなりかねない事態だ。しかし、この緊急性をどれだけの人間が理解し、対処しようとしているか、組織としての力量が問われる所だ。これまでに何の支障も無く流れるように動いてきたものの一部が止まることで、全体の流れが大きく変わってしまう。これは小さなピンチの様にも見えるが、実際は会社の大きなピンチなのだ。
僕は会社をベルリンで初めて 年、日本で設立して 年になるが、初めの数年間だけ、経理を自分でやって以来、もう 年以上は自分で経理の実務には触れていない。どこに通帳や印鑑があるのかさえも、この 年間知らない。正直、経営者としてはあまり自分が直接お金や入出金に関わることに触れるべきでは無いと考えてきた。経営者が通帳や印鑑を自分でしか触れないような会社にだけはなりたくないと考えてきた。全ての決済判断はするが、実務は全て経理担当者に任せてきた。それが当然のことだっただけに、経理担当者の突然の不在に対して、普段起こるトラブル以上の危機感と変化へのチャ
3月年度末、当社の経理の後任人事の引継が上手くゆかず、突然、経理の
ドラゴンシリーズ
ドラゴンへの道編
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吉田龍太郎( TIME & STYLE )
的には、何でもない小さな問題であり、時間が解決してくれるようなことなのだろうが、僕の中ではこのピンチは、自分を変える会社を変える大きなチャンスと捉えたのだ。それから、新入社員のような気持ちでゼロから経理の仕事のイロハや請求書の内容を一つ一つ自分の目と頭で理解してゆくような
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作業に取り組もうと決意した。
会社を始めて 年の間に幾度と無く、会社が潰れるようなピンチが日々の様に続いたことを懐かしく思い出す。その都度に、自分の頭と体をフル稼働させて、その不可能と思われるピンチを乗り越えてきた。その多くのピンチの前で両手を上げて泣きながらこの世から消えて行った同業他社や取引先は数知れない。僕らが生き残ってきたのは、経営的手腕によるものでも、優秀な組織力によるものでもない。その数多くのピンチは、普通に考えれば、まさに完全敗北、コールド負けに値するような状況の連続だった。しかし、人生も仕事も瞬間的な出来事だけで勝敗が決まるようなものではない。野球のルールではコールド負けだったかもしれないが、相手がグランドから立ち去った後にも、僕らはそのグランドに残ってボールを追い続けた。
そして、『諦めなければ、必ず、チャンスは
年間の会社経営の経験
で知った。それは、まさにそれまでの自分の
人生で一番苦手としてきた、継続することで
あり、我慢して耐えることであり、好機が訪
れるまでに準備し続けることだ。チャンスは
必ず継続して準備していれば、 100%、向
こうからやって来る。多少の経営的な素養や
時代の流れを読み取る洞察力や流れに同調で
きるような柔軟性も必要だと思う。しかし、
やはり、最も大事なのは自分の体と頭を動かして、経験して失敗を沢山、沢山、
山のように積み重ねながら、体と心で会得してゆくような経験と、我慢して
忍び、ピンチをチャンスに変えて行くような心の構えが全てを良い方向へと
導いてくれるのではないだろうか。
ずっと触れて来なかった経理に自分から踏み込んでみることも、これから
会社や自分の仕事を成長させて行く為の必然の様に思えてならない。また、
ゼロから新人の気持ちのような素直な心で、新しいことに取り組めるワクワ
クするような喜びを感じながら、このピンチを大きなチャンスに変えてみた
いと思う。僕の人生は 9割以上がピンチの連続だ。昨年は何度かの手術をし、
数カ月間入院して、この世との決別のピンチも味わった。しかし、まだまだ、
諦めない。
いや、まだまだ、全てはゼロからのスタートであり、これから新しい自分の人生をスタートさせる新鮮な気持ちで、毎日を楽しみに生きて行こうと思っている。諦めるな、何とかなるぜ !
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訪れる』ことをこの
北海道の屋根ともいわれる大雪山系。
大西人史さんは、北海道立総合研究
機構の林産試験場で、道産木材利用
の研究をするかたわら、十勝岳三段山
のスキークラブを運営し、雪崩事故防
止の活動を続けています。(林業関係者の集う居酒屋「暖」にて)大西さんも著者として参加した「山岳雪崩大全」(山と渓谷社刊)。気象学や雪氷学、山岳医療など広範囲の専門家が協力して執筆にあたりました。
撮影:坂口和也大西人史さんが雪崩調査を始めたきっかけは、大学時代に出会った山スキーでした。北海道東海大学を卒業し道立の林産試験場に勤めながら、十勝岳連峰三段山を中心とした山スキー集団「三段山クラブ」を設立し、ホームページ立ち上げます。多くの訪問者が寄せる情報のなかで、大西さんをとらえたのが「雪崩」事故でした。やがて雪氷学会の調査チームなどに所属して、事故調査や講習会の講師をつとめるようになります。写真提供:大西人史
鉄瓶にモミジの蒔絵を描いた贅沢な作品も(及富)。
山スキーや登山で起こる雪崩の 9割は、人為的に発生するといわれます。崩壊しやすい雪の層(弱層)がスキーや登攀の衝撃で壊れ、上層の雪とともに雪崩れていくのです。そのため大西さん達のチームはスコップで雪を掘り、積雪の断面調査に力を入れています。「冬の山は美しく、決められた道もありません。夏山と異なり、自分の責任でルートを探し自由に滑っていけるのが大きな魅力です。雪崩等のリスクがあるといって、この素晴らしい経験は奪えません。だからこそ安全な楽しみ方の啓蒙活動を続けています」と大西さん。
写真提供:大西人史
仲間たちで山スキーに出掛けた場合、素晴らしい天候のなか、雪崩のリスクを理由に「引き返そう」と告げるのはベテランでも難しいことです。こうした心理面の研究も必要とされているそうです。
大西さんが講師を務める雪崩講習会には、山スキーや登山愛好家の他、警察・消防の救助隊員も参加します。小さな雪崩でも頭まで埋まると窒息により半数以上が亡くなるため、まずは雪崩を起こさない知識に重点を置くそうです。実地研修では、雪断面の調査方法やプローブ(棒)、雪崩ビーコンなどを使った捜索方法を体験します。「山スキーを行う際は、シャベル、プローブ、雪崩ビーコン、ファーストエイド、雪崩エアバッグなどの安全装備が必要で、40リットルのザック一杯になります。こうした知識や装備について雪山にかかわる多くの人に知ってほしい」と語ってくれました。
写真提供:大西人史
元々ヨーロッパで開発された「CLT」は、構造材と仕上材を兼ねた大断面のパネル材として、9階建の集合住宅にも利用されています。道内初の CLT建築となったこの実例では、CLTの大型パネルを壁面として窓枠の穴を直接開ける施工方法が試されました。カラマツ材の普及には反りや割れといった問題が大きな障害となっていましたが、CLTによってカラマツを大量消費する道がひらけるのではないかと期待されています。
CLT専用金物を使うことで、建物を比較的容易に短期間で組み上げていけます。道内には樹齢 30〜 40年の伐採期を迎えるカラマツが豊富にあり、林業の復興は自然を守ることにも繋がります。山の木々には、杭の作用をして道路脇の斜面で起こる雪崩を防ぐ効果もあり、森林の環境は生活と密接に関連しているのです。
一日で木材塗装をスキルアップ!
第27回木材塗装基礎講座 6月 9日(火)開催
毎年恒例の、木材塗装研究会「木材塗装基礎講座」が、東京都立産業技術研究センター (ゆりかもめ・テレコムセンター駅前)で開催されます。インテリア塗装や家具塗装に欠かせない、木材と塗料の関係や塗料選びのコツ、思い通りの仕上がりを得るための知識など盛り沢山の内容です。昨年好評だった木材塗装の実演コーナーや、貴重な塗膜見本の展示もあり、1日で木材塗装の知識がスキルアップします。
■場所 東京都立産業技術研究センター(テレコムセンター駅前)
■受講料(昼食含)一般 25,000円 /会員 20,000円 / 学生 3,000円(学生優待料金を設けました)
参加申込みは木材塗装研究会のホームページ(下リンク)へ
【 主なプログラム 】 2015年 6月 9日(火)9:30. 17:00
■塗装から見た木材の性質 .良い塗装のために素材のことを知ろう.
独立行政法人森林総合研究所木材改質研究領域機能化研究室 室長 片岡 厚氏
■木工塗料の種類と性質 .木工用塗料の詳細およびその選択方法についての解説.
玄々化学工業株式会社技術部 部長 大木 博成氏
■塗装工程の組み方とその役割 .木地調整から仕上までの各工程の目的とポイントを解説.
地方独立行政法人 東京都立産業技術研究センター 表面技術グループ 副主任研究員 村井まどか氏
■着色剤の種類と着色方法 (実演) .木材をより美しく仕上げる着色の基本の解説と実演.
キャピタルペイント㈱ 東京営業所 所長 長澤良一氏
■屋外木部の塗装=木材保護塗料(WP)の活用について .屋外木部の風化を防ぐために.
大阪ガスケミカル㈱保存剤事業部 木材保存剤営業部 テクニカルアドバイザー 小林勝志氏
■木工塗装の欠陥と対策 .欠陥の原因を楽しく謎解きし、作業に活かすコツを解説.
職業能力開発総合大学 基礎ものづくり系(木工・塗装ユニット) 准教授 坪田 実氏
■塗装関連機器設備の紹介
地方独立行政法人 東京都立産業技術研究センター 開発本部 開発第二部 部長 木下稔夫氏
■なんでも相談コーナー 木材塗装研究会全委員
アイヌ民族の聖地 嵐山
旭川市の西に位置する旧北海道東海大学旭川校舎は、統合により現在は閉鎖されています。石狩川をのぞむ小高い丘の上にはアイヌ民族の砦だったといわれる遺跡が遺されています。
大雪山から源流を発する石狩川は、札幌方面と旭川をつなぐ重要な交通路であったと考えられています。雪解けの水が川に溢れ、春の訪れを告げていました。
北海道東海大学旭川校舎の対岸にあたる嵐山は、アイヌ民族の聖地「チノミシリ」(我ら祈る山)でした。そのふもとに暮らす東海大学名誉教授・後藤充弘さんの家を訪ねました。
玄関を入ると、小さなリビングルームのような前室があります。リビングは縦長の窓をあけたボウウンドウに囲まれ、ダイニング・キッチンが舞台のように一段上がっています。
森の王者と呼ばれるクマタカなど、珍しい鳥達が飛んできます。
オサラッッペ川を渡り嵐山公園へ。アイヌ民族の聖地(チノミシリ)であった嵐山には、砦跡といわれる「チャシコツ」や水汲み場、見張り小屋などの跡が見つかっています。チノミシリでは祈りの行事が行われていました。チャシコツではかつて村の守護神として崇められたコタンコロカムイ(シマフクロウ)が飼われていたそうです。今も木々にはフクロウやエゾリス、アカゲラが生息し、植物の種類も豊かです。公園内の施設「アイヌ文化の森・伝承のコタン」には、アイヌ民族の生活用具が展示され、チセ (家 )やプー (貯蔵庫 )、ヌササン (祭壇 )が再現されています。
工房楽記『
ing.の喜び』
鈴木 惠三(BC工房 主人)
エコな暖房器具として注目されている木質ペレットストーブ(マルショウ技研のブース)や、北方型住宅の実例パネルなどが展示されていました。
旭川から帯広に到着し、池田町「赤坂建設」の赤坂正さん(十勝ツーバイフォー協会会長)と合流しました。帯広駅前のとかちプラザでは、北方型住宅フェアを開催中でした。「北方型住宅」とは、北海道独自の基準とシムテムで設計・施工された、高断熱・高気密・省エネルギー・高耐久性能をもった住宅のことです。
(クロス・ラミネイティド・ティンバー)やコアドライ技術を使ったカラマツ芯持材なども展示されました。カラマツ材の「CLT」各ジャンルの専門家を招いたセミナーでは、十勝の気候に適した省エネ住宅のありかたや、新たに設けられた北方型住宅の基準・システム「きた住まいる」の説明、補助制度の紹介、カラマツなど道産材の活用方法などの解説がありました。また岡本建設の高橋隼人さんは、とかち型エコ住宅の施工例をとり上げ、断熱性を高める付加断熱工法を紹介しました。プラタナスの公園は、神話的な彫刻に彩られています。
赤坂建設の帯広事務所。同社のルーツは明治 40年(1907)にさかのぼります。北海道に移住した福島県出身の大工・赤坂貞蔵氏は、大正のはじめ鉄道開通と共に池田町に移ります。2代目の赤坂弘氏は 3階建の中島病院など、木造在来工法による大規模な建築を建てました。そして3代目の赤坂芳雄氏は、北米の視察旅行をきっかけに道東ではじめての 2 × 4(ツーバイフォー)建築を手がけます。芳雄氏をはじめとした十勝 2 × 4協会加盟工務店の活動により、十勝では全国平均(2割)を大きく上回る6割以上が2×4工法で建てられるようになりました。
赤坂建設帯広事務所に近い「瀬上製材所」は、十勝産のカラマツを中心にした製材所です。カラマツは産業用パレットや梱包材などに多用されていましたが、同社では柱や梁材、集成材などを手がけ、住宅への利用促進に力を入れています。
子供の頃「糖尿病」は別名「贅沢病」と呼ばれていた。日本はまだ貧しく、庶民には縁の薄い病気と考えられていたのだ。高校の日本史で先生曰く「藤原道長は足が痛いと言っていて、糖尿病だったんだ。贅沢貴族の病気だね」以来しばらく、源氏物語絵巻の衣冠束帯頬のふくらんだ平安貴族を見れば「糖尿病!」と条件反射するパブロフの犬状態だった。犬といえば、4〜5年前から渋谷ハチ公の銅像を囲んで写真を撮り合う外国人の姿を見かけるようになった。ガイドブックにでも紹介されているのかと思っていたら、ハリウッド映画だった。毎日駅で飼い主の教授を待ち続けるハチ公。リチャード・ギア主演で、アメリカの田舎町に舞台を移して描かれた 2010年の作品だ。この映画、米国東部ロードアイランド州のとある田舎町(以下 WSと表記)でロケが行われている。車社会に徹するアメリカで鉄道の駅と駅前があって「絵になる場所」を探すのは至難だったはず。映画の中で道行くハチ公の背景に見えるのは、1930年以前と思われる落ち着いた風情の建物続く街並みで、この映画にピッタリ。今回この街のことを知ったのは、しかし、映画
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からではない。この街について調べていたら、突然「ハチ公」の写
真が出てきて仰天し、はじめて映画のことを知ったのだ。
ではなぜ、私がこの街について調べていたのか。ここからが本題だ。
実は、この街 WSは、フードスタンプの受給者率が全米で最も
高い場所の一つとして知られ、住民の三人に一人が「生活保護状態」
にある。カナダのケベックからのフランス系移民の子孫たちが主体
の街で、ふた世代前までは日常的にフランス語が飛び交っていたと
いう。一時は紡績などの産業で活気を見せた街も、繁栄は1929
年の大恐慌勃発までだったらしい。実際、市街中心部は、古くは
世紀末から大恐慌にかけての建築が大半のようで、映画はレンズの
魔法でこれを美しく見せている。ここで問題なのは、政府の保護を
受ける家庭が固定化して、3世代揃って生活保護という人々が出現
し始めていることだ。貧困の固定化、それは肥満そして糖尿病とセ
ットになっている。
貧困の固定化については、今話題のピケティは別にして、 年近
みなかった。 Sの貧困家庭はシングルマザー世帯が多く、子供たちは
W
くも肥満児となり、糖尿病になる例が少なくない。そんな家族にとって毎月一度の楽しみが、食品の買い出しだ。郊外のウォルマートは 時間営業で、毎月月末の深夜はフードスタンプの電子カードを手にした利用客で賑わう。日付が変わる午前零時、その時点で政府からの補助金がカードに入金される前に、店内でカート一杯に食品を買い込みレジに並ぶ。ワイワイ騒ぎながら午前零時を期してレジを通過。肥満の家族揃ってカートを押して駐車場に行き、ボロボロの車に積み込んで家路につく。月に一度の、悲しい祭りだ。
家族が戻る先は、モバイル・ホームなどと呼ばれる「家」である場合が多い。日本風に言えばキャンピングカーだ。アメリカの田舎で古い街道沿いを走っていると、所々
でこれが集まっている場所を見かける。街道沿いの殺風景な場所に、なぜカーキャンピング場があるのか。不思議に思っていたが、それは家を購入できない貧しい人々が、動くことなきキャンピングカーを終の住み家として集まる場所なのだった。キャンピ
ングカーはその昔は、クルーザーと並んで贅沢の象徴だった。最近のアメリカ映画では、荒んだ光景を象徴する存在になり始めている。かつて豊かさの象徴として光り輝いていたものが、いつしか古びて、ほころびを見せて、朽ちていく。
同じようにその昔、それなりに成功したアメリカ人たちが、老後引退して住む理想郷とされた南部フロリダ州のコンドミニアム。温
暖な気候にそよぐ椰子の葉の下、電動カートでゴルフ三昧。時にはプールでひと泳ぎ。この「老後の理想郷」でリーマンショック以降、生活苦にあえぐ年老いた年金生活者が増え続けている。ミドルクラスの成功者であったはずが、気がつけば、熟年に至って余裕ゼロ。それどころか、今ではフードスタンプの受給資格十分という厳しい立場に。
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彼らは体面を気にするため、スタンプの申請を自ら行う人は3割少々。私の目から見れば立派と思えるが、州政府の立場からは、そうはならない。なぜか。本来であれば連邦政府から支給されるべき補助金が、彼らが申請しないために州政府に入ってこないからだ。貧困度の進展と共に、これがバカにならない金額になり始めていて、州政府は積極的に高齢貧困者に対し、補助金申請を促すことにした。現場でその活動を行う人々を皮肉なことに、リクルーターと呼ぶ。彼らは、「恥ずかしがらずにスタンプの補助金申請をして下さい」と貧困者を説得し、書面に署名させることが仕事だ。日々老齢者コンドミニアムを回り、イヌ好きや猫好きの寂しい年寄り向けのプレゼントを用意し、親身に話を聞き、体面という分厚い心の鎧を解いて、申請に漕ぎ着ける。「今月は 150人申請達成!」歩合で稼ぐリクルーターの明るい声が虚しく響く。大草原の小さな家、あのたくましき開拓者スピリットは、今どこに。フードスタンプから見えてくるアメリカは、ただひらたすら、侘びしい。
く前に同じくフランスの社会学者 .ブリュデューが問題にした本を読んで、強い印象を受けた。だが、まさかアメリカでそんな問題が起きることになるとは、思っても
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歳前後で早
赤坂さんの自邸を訪ねました。床下全体に土間コンクリートを打った基礎断熱工法を採用し、床下の温水配管によって暖房を行っています。家全体がポカポカと均質に温まり、1階と 2階の温度差をあまり感じさせません。
傾斜地を利用して、2階から裏庭の木製デッキに出られるようになっています。屋根は「スノーストッパールーフ」(雪止めリブの入った屋根材)によって落雪を防ぐ仕様です。
池田町の赤坂建設本社には、事務所のほかに 2 × 4のパネル組み立てラインや資材の管理倉庫などがあります。
マックス社製の「2×4フレーミングマシン」は、北海道内で最初に導入されたものです。2×4材や2×6材を使い、決められた長さの釘(色分けされている)を打ち込んで壁パネルなどを製作してから現場で組み立てます。北米から輸入される2×4材はJ-Gradeという特に質の高いものだそうです。▲ Iジョイスト(左)は OSBと LVLの複合材で、経年変化によるヘタリが少ないそうです。
作業場は「I(アイ)・ジョイスト」などを利用して建てられた木造の大空間になっています。2 × 4のルーツといわれる「バルーン・フレーム工法」は明治期に北海道に伝わり、札幌時計台をはじめ開拓使庁舎、学校、病院、軍の施設から、教会やニシン番屋など大型木造建築に導入され、北海道の開拓時代を支えていました。▲ 北海道ではお馴染みの遮熱性の高い樹脂製サッシ。30年程前から導入が始まり、ガラス 3枚(3層)タイプが増えています。
2×4材には 2×4、2×6、2×8、2×10などのサイズがあり、壁厚や用途により使い分けられています。北米や北欧からの輸入品が大半でしたが、赤坂建設では道産カラマツ 2 × 4材の導入も試みています。またカラマツから作られた合板も流通するようになり、利用促進によるコストダウンが待たれています。
▲電気(ヒートポンプ)とガスで暖房・給湯を行うハイブリッドシステムを採用しています。
▼軒下に通気のスリット(デハイリー)を設け、小屋裏を換気して内部結露を防いでいます。
2 × 4工法は平屋建ての住宅にも採用されています。屋根にはスノーストッパールーフを採用して落雪を防ぎ、雪かきを楽にしています。晴天率の高い十勝には、このようなソーラー発電パネルを載せた住宅も多く見られます。
東京から池田町へ
▼一日の大半を過ごすというリビング・ダイニング。南面した窓からは、おだやかな光が差し込みます。
東京のマンションに暮らしていた木村夫妻。移住先を探して全国を旅するなか、釧路で丹頂鶴を見学したあと、たまたま立ち寄ったのが池田町でした。町の名所「ワイン城」でワインを飲み美しい景色を眺めるうち、すっかり池田町を気に入ったそうです。それから6〜7年かけて土地をさがし、赤坂建設で家を新築したのは 8年前のことでした。「池田町はワインや食べものが美味しいし、自然も美しく人がいい」と奥様。家の中では北国の寒さを感じることはないそうです。
3層の木製サッシは、回転して室内から外側を拭けます。Low-Eガラスによって暖房の熱を外に逃さない効果もあり、夏場は強い日差しを防ぎます。
使いやすいⅡ型キッチンの奥には浴室やランドリーがあり、洗濯物も屋内に干せます。季節ごとに近所の人たちが野菜を沢山わけてくれて、ジャムやスープ、ジュースづくり、味噌、梅干し、漬物、山菜と、一年があっという間に過ぎるそうです。「食事会を開くと 30年前のヴィンテージな十勝ワインを持参してくれる人もいて、毎日のようにワインと楽しんでいます」と奥様。地元のワインは、地元の食材にフィットすることが分かってきたそうです。
プラタナスの公園は、神話的な彫刻に彩られています。移住を検討した理由のひとつは趣味の木彫りでした。何本もの彫刻刀で彫っていく本格的なもので、音や木くずを気にせず集中できるよう、ミニキッチンを備えた工房を玄関脇に設けました。季節によって木の彫りやすさも違うそうです。
暖房は灯油式温水パネルヒーターを各部屋の窓下に設置し、家全体が温まるよう工夫されています。2階には寝室、和室の他、浴室やトイレも備えているので、子ども達が訪れた際は 2階で気兼ねなく過ごせるそうです。池田町は「とかち帯広空港」から近く、東京からも数時間で来られる便利な場所で、飲食店やスーパー、病院、公共施設も充実しています。
庭の木々には、アカゲラなど沢山の野鳥たちがやってきます。手作りのハスカップジャムケーキとハーブティを頂きました。
「池田町は空気や水がよくて、東京とは別世界と思います。ただ北海道への移住には不安もありました。今は、この家だからこそ快適に暮らせます」とご主人。実はご主人は旭川の出身で、昔の寒い住宅のイメージが残っていたそうです。「町内でも場所によって環境は変わりますから、時間をかけて色々な土地を見ることが大切」と移住のアドバイスしてくれました。プラタナスの公園は、神話的な彫刻に彩られています。
日本人は焼け野原から立ち上がり、物質的にも経済的にも目覚ましい速度で発展を遂げ、戦後 70年という歳月を生き抜いた。だが、ただ喜んでばかりはいられない。その反面、無くしてしまったものの大きさに気付けないまま、生きてきたんじゃないかしら。精神性を欠いた信じがたい事件、深刻さを突きつけられる高齢化社会、抗えぬ自然災害が起きるたびイケイケドンドンのつけが計り知れなく忍び寄っているように思えてならない。どこに居ようとせわしない日常に振り回されているみたいだ。
さて 5年後、 50年ぶりにオリンピックが開かれることもあり、東京では整備ラッシュが目立つ。渋谷の東横線は地下深くになったし、駅周辺再開発の解体工事なども密やかに進んでいる。代々木競技場解体工事は、遅ればせながらスタートしたそうである。首都の大動脈を大量の工事運搬車両が排ガスふかして走り去っていく。そんな光景に出くわすたび、思わずため息がもれ、鼻と口元をハンカチで覆う自分がいる。車の量、これ以上勘弁して欲しいが本音だ。それより何より、我が身に降りかかる切実な問題へ、話を移さねばなりますまい。お隣の工事も、あと半年ほどという時だった。えっ ……なに?
「今度はお向いさんの番ですって!!」ガガ〜ンとまた一発やられた気分。一番見たくない工事計画の説明会案内がポストに入っているではないか。数年前の仕分けブームの中、民間に渡った例の官庁の官舎が解体され、マンションになるとのこと。畳み掛けるように、襲いかかる工事の波。案内書を持つ手も震えた。「ちょっとちょっと勘弁してよ、となりの工事さえまだ終わってないのにー」。脈も血圧も上がっていたに違いない。
嶋木夫妻の勤労が実り自作農となれたのは、入植から 45年もたった昭和 16年。21戸の農家が莫大な資金を調達し夢を叶えたそうです。農園を引き継いだ現代表・嶋木正一さんは 35歳の時、アメリカのファームステイで知った自家製アイスクリームに衝撃をうけ、日本には当時なかったプレミアムアイスづくりを目指し、大学とも協働して研究を重ねました。牧場による直接販売という試練も乗り越え、アイスクリームを通じて開拓者の魂を伝えています。
▲石膏ボードにはホルムアルデヒド吸着・分解機能のある「タイガーハイクリンボード」を使用していました。赤坂建設の現場を訪ねました。「北方型住宅」の基準・システムに基いて建設中の家で、熱損失係数 Q値は1.3程度に設定しているそうです。Q値とは温度差が1℃の時、家全体から1時間に床面積1㎡あたりに逃げ出す熱量のことで、最近ではより正確に特性を把握できる、外皮平均熱貫流率(UA値)を用いることも多くなっています。基礎を凍結しない深さまで掘り下げ、スタイロフォームなどで基礎コンクリートを断熱することで、床下の温度を安定させています。プラタナスの公園は、神話的な彫刻に彩られています。断熱材を隙間なく充填した上から「防湿フィルムシート」を粘着テープで張り込み、気密性を上げ結露を防いでいます。配線穴にも樹脂を充填し、コンセント部分も丹念に断熱します(左)。床組には「Iジョイスト」などを使い耐久性を高めています(中)。高気密・高断熱住宅は寒い部屋がないため、外気を導入して食品を冷やすストッカーを設けていました(右)。池田駅前で100年以上の歴史をもつ洋食店「よねくら」。名物の「バナナ饅頭」は池田町に鉄道が通った1904年当時に発明され、店で食べるときは温かい牛乳と一緒に提供されます。池田駅ホームでの駅弁販売からスタートし、今も家庭的な食堂として愛され続けています。池田牛のステーキを贅沢にのせた「牛肉カレー」もおすすめです。
それでも地球は回ってる
第二部「ジーノ編」 7 ホノルルの長い夜1
野田豪(AREA)
PM 6:00
深夜の工房に夜が訪れた。大きなマグカップを両手に持ったジーノはナツキの
目をしっかりと見据えて言った。「大まかな構図をおさらいしよう」椅子の設計図
面の裏にペンを走らせて行く。「対立している組織は 4つ。1つは新興組織クロの
ラフィンホク(笑う月)。2つ目が君の父親ロックマンの組織であるインビジブル
ウェポン(見えざる武器)。そして3つ目、僕が属している HPD(ホノルル市警)
だ。今回のこの構図は台頭するクロとお互いがバランスを取りながら秩序を保っ
ているロックマン &市警の衝突だ。ツインブリッジ事件は完全に三つ巴だったが、
今回は新興勢力対連合というシンプルな構図になっている。「なんで市警は父と手
を組めるの ?」ジーノは微かに笑った。この娘はなんだかんだ言って自分の父親
を愛しているのだ。「暴力組織ではあるが、市警が引く一線を越えてこないからだ」「ドラッグと殺人ね」「そうだ」「ドラッグはそうだろうけど……」
ロックマンはかつて夏姫という最愛の女性をドラッグで殺されている。そして、その女性の名が自分の名前の由来だということもナツキは知っている。「殺人は分からないわ。足がついていないだけかも」ジーノは肩をすくめた。「それはそうだろう。しかし君の父親の最大の収入源はあくまで金融と不動産だ。確かにインビジブルが一人も人を殺さない組織だと HPDが考えているわけではない。しかし圧倒的にその件数は少ないはずだ。実際、今では下手な素人の殺人事件数の方が多いんだ。このホノルルではね。だから名目的に言って HPDは彼らを殺人組織として扱っていないんだよ。そう呼ぶにはインビジブルは近代化し過ぎている」
「分かった。で ?4つ目の組織は ?」その時、庭の虫の声がピタリと止んだ。ジーノがナツキの背後に目を向けた。「日本の公安だ。 FBIとか CIAみたいなものだと思えばいい」「日本 ?コーアン ?秘密警察 ?」ジーノが口に人差し指を立てた。シッ。ナツキの背中がビリッと震えた。背後に誰かが立っていた。ゆっくりと振り返った。
PM 6:15
黒いアウディのウインドウを下げた。湿気った風が車内に充満する。ロックマンは浅黒い痩身に黒いスーツをまとい後部座席で足を組んでいる。ホノルルの闇
19
を大きく吸い込んだ。戦闘が始まるのはいつもこんな霧の夜だ。日本の港町の裏
!!
山の時も、そしてツインブリッジの時もそうだった。アラウラが俺の腕の中で死んだ時も……。アラウラ。俺の大事な妹。俺と違って賢くて、足の速い自慢の妹。そして、夏姫。夏姫はドラッグで死んだ。俺が愛した女はみんな死んじまった。「ロック ?」運転をしている美貌のニケが顔を前に向けたまま言った。「もうすぐ着きますよ」「ああ」「お嬢さんは大丈夫ですよ、預けているのがジーノですから ……彼は天才です」「分かってる」ジーノホワイト。奴のことは良く知っている。ツインブリッジの時に相当手を焼いた。味方にしたらこんなに心強い奴はいない。しかし同時に俺は知っている。これから再び相手にするクロのことも……。日本のハイスクールの同級生。俺の唯一の親友。分かりすぎるほど知っている。奴の底知れない欲を !そしてそれを支える悪魔の頭脳を ……さらにその脇に控える天才参謀リオ(馬)。かつての俺の教育係。非情のトリックスター。「ナツキ……。愛するマイドウター。俺は今度こそ守る。もう二度と大事な人を殺させやしない。」ロックマンは噛み締めた唇から漏れる吐息とともに胸元のブラッククロスを握りしめた。
PM 6:30
影の男は首を振っている。独り言をブツブツと呟いている。右手の拳銃。 S&W 5906。HPD正式採用の 9mm ×。「こうするしかなかったんだ。わかってくれ……」大きな丸い顔。人の良い笑顔は当然消えている。フラットブレッド(丸パン)が足をガクガクと震わせながらゆっくりと近づいてくる。「トム……」「ジーノ ……何も言わねーでくれ。頼むから」「トム ……トム・フォード。泣いているのかい ?」トムは目をまっ赤にして泣いていた。しかし銃口はピタリ
とナツキの額に向けられている。彼の迷いや動揺が肘から先に伝わっていない。結局トムはプロなのだ。これがホノルルで生きるプロの選択なのだ。ナツキはジーノの横で凍り付いている。しかし気丈な瞳は彼を捉えて離さなかった。「こんな
P
やり方で昇進したって、この先うまくいくわけないじゃない」それが合図となった。トムは一瞬ブルッと身を震わせて人差し指のトリガーを引き絞った。ほぼ同時に二発の銃声が工房に轟いた。ナツキが悲鳴を上げた。血しぶきが舞った。トムがクルクルと回って倒れた。トムのさらに背後。日本の公安が立っていた。大柄な体がゆっくりとトムに近づいて行く。トムの体を足でゴロリと仰向けにさせた。「カイト……」ジーノが口を開いた。水気のないかさついた声を。「まさか……」カイトはトムの首筋に手のひらを置くと微かに頷いた。ジーノに顔を向ける。「ああ。殺してはいない」「そうか」「お前の言う通りだった。時間、潜入口……なにもかも。すごいな……」「ああ」その時、トムがうめいて目を開けた。少し後退ってカイトが再びシグ( 230jp)を構えた。ジーノがそれを目で制した。「トム ?なに人の家で寝っころがってるんだ ?」優しい声だった。
遠くから救命車両のサイレンが聞こえてきた。「おいおい。そこまで手配済みかよ」カイトが肩をすくめながらシグを下ろした。「ジーノ……」トムが震える声でジーノを見上げた。「トム、また三人でクッキーをいっしょに食べような ?」それを聞いて横でナツキが笑った。目には涙があふれていた。「牛乳は冷蔵庫だから自分で取ってきてね」「なんだそりゃ」カイトが唇を太く曲げた。「僕らはお前のことを良く知っている」トムの銃弾はトムの足下をえぐっていた。明らかに自分の足下に発砲していた。「な ?お前にこんな大それたことができるわけないよ」トムはそれを聞いて大声で泣き始めた。「わかってんならよー。撃つことねーじゃねーかよー」「人に銃口向けて言う台詞じゃないわね」ナツキがプイッとそっぽを向いた。「お灸だよ」ジーノも少し怒った顔でそう言った。そしてナツキを見るとこう付け足した。「さっきの続きだ。 ……今回の構図はクロのラフィンホク(笑う月)に対する HPD、インビジブル、日本の公安「朱鷺」の連合となる」チッと舌を鳴らすとカイトが付け加えた「たった今な ……たった今そうなったってわけだ」 ■
町の窮地を救ったワイン
十勝ワインによる町おこしに成功した池田町。昭和 49年に完成したブドウ・ブドウ酒研究所は通称「ワイン城」と呼ばれ町のシンボルとなっています。
▲十勝ワインを蒸留したブランデーもつくられています。
▼ 1960年代からのヴィンテージが保管されていました。
ワイン城では地下熟成室などの見学ツアーが開催され、日本では珍しいスパークリングワインもここで製造されています。昭和 27年の第一次十勝沖地震から冷害が続き凶作に悩まされていた池田町は、その打開策として山ブドウを原料とした町営のブドウ酒醸造を始めます。山ブドウ酒は海外でも評価されましたが、安定して収穫できず産業として成り立たないと判断した町は、極寒冷地でも栽培できる独自の品種開発に取り組みます。その結果生まれたのが「清見」でした。さらに寒さに強い山ブドウとの交配種「清舞」や「山幸」も開発され、国産ワインブランドとしての評価が高まっています。
▲直売所には沢山の観光客がやってきます。各種ワインの試飲もでき、池田町の特産品も扱っています。
フレンチオーク樽による「樽熟成」も十勝ワインの特徴です。池田町出身のドリームズカムトゥルー吉田美和さんとコラボしたワイン樽もありました。池田町民は年間 10L以上のワインを飲むといわれ、中学校ではブドウの収穫体験も行われプラタナスの公園は、神話的な彫刻に彩られています。
ています。毎年秋のワイン祭りには、ワイン飲み放題や池田牛の丸焼きなどを目当てに、全国からワインファンが集まります。
池田町清見の画廊喫茶「ムーン・フェイス」は、平成 4年に大阪から移住した杉山夫妻の喫茶店です。ご主人は透明水彩を描く画家で、雑誌で十勝移住の記事を見たことをきっかけに一家で池田町へ移り住みました。古い教員住宅を借りて生活をはじめ、平成 6年に赤坂建設の設計・施工によって念願の画廊喫茶を開店しました。
▼杉山さんの最新作。ブドウ・ブドウ酒研究所のフランスワインツアーに参加し、フランス各地の風景を描きました。
ご主人は水彩画教室をひらきながら創作を続け、透明水彩画は十勝ワインのラベルにも採用されました。「大阪から池田町に移り住んで、助け合い精神の大切さを知りました。雪かきや子どもの世話など、地元の方との関係が大切」と奥様。
平成 16年、杉山夫妻は喫茶店に隣接した自宅を建てました。
平成元年に設立され、現在約1100頭の羊が飼育されている羊牧場「ボーヤ・ファーム」。福岡県出身の安西浩さんは、帯広畜産大学で羊の繁殖学を学び、設立されたばかりのボーヤ・ファームに勤務したのち、今は牧場の代表をつとめています。
ファームの雄羊たちは半年〜1年で食肉として出荷されていきます(雌羊は繁殖のため残されます)。2月は出産のピークで、出産後は親子関係を築くため2〜 3日のあいだ同じ柵の中に囲っておくそうです。安西さんは羊肉の販路を開拓するため自ら全国のレストランを訪ね、高級イタリアン、フレンチのシェフたちにも評価されるようになりました。
羊の柵などには、赤坂建設の廃材を有効利用していました。
ボーヤ・ファームの丘を上った展望台からは、池田町を一望できます。