時空を超える美意識
https://collaj.jp/
薫風 2022
出雲そこにある神の世界
古事記、日本書紀、出雲風土記など、数々の神話で語り継がれてきた「出雲」。旧暦10月10日には出雲大社に近い「稲佐の浜」に全国から八百万の神が上陸します。豊玉姫をまつる弁天島には、縁結びを願うカップルが訪れます。
旧暦10月10日の夜、稲佐の浜では神々を迎える「神迎神事」が行われます。神々は舟に乗り、海ヘビの案内でやってくると考えられています。
縄文時代の島根半島は本土と海で隔てられていました。斐伊川の土砂などが堆積し、出雲平野が形成されます。
出雲大社を象徴する巨大なしめ縄。島根半島をつなぎとめている薗の長浜と弓ヶ浜半島を表しているかのようです。通常とは逆に、縄の綯終を向かって右側にしているのが特徴です。
稲佐の浜から出雲大社へ向かう小道の途中に、天照大神を祀る「下宮」があります。天照大神は伊勢神宮の御祭神であり、日の昇る伊勢から日の落ちる出雲との深いつながりを感じさせます。
神々の会議場上宮
稲佐の浜に上陸した神々は出雲大社で1泊してから、旧暦10月11日から7日にわたり上宮で神事(人には知ることのできない諸般の事)を神議りにかけて決めると考えられています。この間、近所の人たちは工事など音の出ることを控え静粛を保つため「御忌祭」ともいわれます。
神々のホテル十九社
出雲大社本殿の東西に配置された十九社は、神々が宿泊される場といわれています。神在祭の期間中は扉が開け放たれ、白い布がかけられます。神々はここから上宮へ毎朝通われます。
出雲大社の御祭神大国主大神が、国造りの途中で少彦名命に先立たれ困っていた所、海から光る「幸魂奇魂」が近づき、奈良の三輪山に祀られ大物主大神となることで国造りが完成します。
本殿の裏手にある禁足地「八雲山」は、奈良の三輪山を思わせます。出雲大社と三輪山の大神神社は古代から深いつながりをもっていて、出雲と奈良の連携による国造りを想像させます。
今月の茶道具 4
油滴天目茶碗 ゆてきてんもくちゃわん
中国・南宋時代(13世紀) 九州国立博物館蔵 松平不昧公旧蔵
「油滴天目」は、中国福建省の建窯で焼かれた茶碗です。黒い鉄釉をかけた建窯の碗は「建盞」と呼ばれ中国で最高の茶碗とされました。形状はすり鉢型で、口造りが2段になっています。模様は細い線状の「禾目(のぎめ)」が多いですが、まれに鉱物が再結晶化して油滴状に見えるものが「油滴天目」として珍重されました。さらに貴重なものとして日本に数点しかない「曜変天目」があります。日本には鎌倉時代に中国から帰国した禅僧によって伝わり茶人たちに愛されました。高台が小さく倒れやすいため漆塗りの天目台に載せて使い、お茶の作法も格式の高い点前になります。この椀の内箱には千利休あるいは古田織部よって「ゆてき」「天目」と書かれています。江戸後期には古今東西の名物を収集した松江藩主・松平不昧(まつだいらふまい)の所蔵となり、不昧の所蔵品リスト『雲州蔵帳 大名物部』に「油滴 古織 土井利勝 木下長保伏見屋」と記されています。「油滴天目」の人気は今も続いていて、日本各地の窯で焼かれています。
インテリア ライフスタイル 2022年6月1日(水)〜3日(金)
6月1日から、3年ぶりの開催。国内外の約500社が出展。東京ビッグサイト西展示棟
国内外の家具、照明、テキスタイル、生活雑貨、キッチン用品、テーブルウェア、収納、家電、伝統工芸、デザインプロダクト、若手デザイナーの最新作などが一堂に集まる国際見本市「インテリアライフスタイル」が、3年ぶりに、東京ビッグサイトで開催されます。
■ アトリウム特別企画 「Blooming」は、建築設計事務所 SUPPOSE DESIGN OFFICE(谷尻誠さん、吉田愛さん)が空間をデザイン。「おうち時間」を充実させるアート、花器、フレグランス、食器など、働く時間や暮ら
しの「気分をアゲル」製品との出会いを演出します。■「アップサイクルって何?02」は、芦沢啓治さんのディレクションで、建築家4組とケイミュー(株)、カリモク家具(株)が協業し、アップサイクルプロダ
クトの製作に挑戦します。
■「MeetDesign」は、デザイン力と提案力をもつファブレスメーカー24社が出展。商品開発を模索する企業や産地との出会いの場を創出します。その他、TIME & STYLEは、建築家 ピーター・ズントーとの家具コレクション「Peter Zumthor collection」を発表する予定です。
「アップサイクルって何?02」のイメージ「Meet Design」のイメージ
出展カテゴリーの一覧
本殿の裏手にある素鵞社(そがのやしろ)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っています。社殿の裏には八雲山の岩盤が露出し、禁足地に直接触れられる場となっています。素戔嗚尊は大国主大神の八代前の祖先であり、娘(多紀理毘売命)との婚姻を望んだ大国主大神に数々の試練を与えます。江戸時代には、素戔嗚尊を御祭神とした時期もあったようです。
平成20年〜25年にかけて出雲大社では60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われました。延享元年(1744年)に建てられた本殿はそのままに檜皮葺の葺き替えや千木・勝男木などの取替が行われ、摂社、末社の改修も行われました。100億円に及ぶ予算は、経済界や国民の寄付、自治体の補助金などで賄われました。
祭典・神事を司る
毎年5月10日、大遷宮の完成を記念した「遷宮記念祭」が開催されています。祀職の方々が御本殿前の楼門に集まっていました。出雲大社の祭事は年間70回以上になります。楼門で巫女舞が舞われると、御本殿の前で祀職による儀式が執り行われます。明治23年9月、松江に赴任したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、西田千太郎の紹介で外国人としては初めて、出雲大社の本殿昇殿を許されました。神官に迎えられたハーンは巫女舞を見学し、千家家の饗応を受け、伊佐の浜に足を運んでいます。この体験は著作「杵築.日本最古の社殿」などに描かれ、出雲大社の存在を世界に知らせました。
84代つづく千家國造館
「千家國造館」は、天穂日命から84代続く出雲國造千家家の住居です。出雲国造はかつて一帯を治めてきた豪族で、男系の世襲を継続してきた皇室に次ぐ古い家系として知られます。
御本殿は南向きですが、大国主大神の祭壇は西(海側)に向いているため、西側にも拝所が設けられています。
出雲國造の世襲は、先代の逝去とともに神火の相続「火継式」が行われます。國造家に伝わる火鑚臼・火鑚杵(火起こしの道具)を持ち國造造館を出ると、素戔嗚命を御祭神とする八雲町の熊野大社へ向かいます。ここの「鑚火殿」で火鑚臼・火鑚杵を使って神火を起こし、その火で調理した斎食を摂ることで始祖である天穂日命と同一となり、新しい國造となります。神火は国國造館の斎火殿に移され、國造の在位中は、その火で作った食事だけを摂り、他の家族がそれを口にすることは許されませんでした。稲作の盛んな出雲平野は、氾濫を繰り返す斐伊川(ひいかわ)によって築かれました。上流で行われた砂鉄の採取出雲平野を築いた斐伊川「鉄穴(かんな)流し」の影響で平野には大量の泥土が流れ込み、川底の高い「天井川」となっています。
出雲大社御本殿は「大社造り」と呼ばれる建築様式で建てられています。ほぼ正方形の間取りで、中心に心御柱(大黒柱)があり、周りを8本の柱で支えています。入り口は向かって右に偏っていて、扉から中に入ると左に進み、御客座五神の祭壇を拝んでから右に進み、大国主大神の御神座と向き合うレイアウトになっています。これは囲炉裏を中心とした民家の造りに共通するとも言われます。
みずたまりの
Vol.35
みず色は
原作:タカハシヨウイチ はら すみれ絵 : タカハシヨウイチ雨あがりの空の色
プレオープンには、Fujiyoshi Brother's(藤芳太一郎さん藤芳幸太郎さんのアートユニット)も招待されました。
アウトドア家具ブランド Terior(テリア)のショールームがプレオープンし、そのお披露目が行われました。Teriorは、AREATokyoやRocheBoboisを扱う㈱CROWNがプロデュースする新ブランドで、世界各国のユニークなアウトドア向け家具を日本に紹介し、インテリア .アウドドアの境を無くした心地よい空間づくりを提案しています。ショールーム屋上テラスでひらかれたTTP(テリア・テラス・パーティ)。Teriorが扱うROOLFLIVING(ルールフリビング)のアウトドアソファが置かれ、都心の夜景を眺めながら炭火で焼かれた串焼きや飲み物を楽しみました。ここで定期的にアウトドアイベントをひらき、アウトドア家具の愉しみを発信していきたいそうです。場所は「ロッシュ ボボア トーキョー」(渋谷区神宮前3-35-1)のあるビルの5、6階です。
ROOLF LIVINGはベルギーのアウトドア家具ブランド。丈夫な生地(100%ポリプロピレン製、耐熱、耐紫外線)の中にビーズを詰め、しっかりしたファブリックスでカバーリングしています。なんと水に浮かべて使うこともでき、重量が軽く気軽に持ち運びできます。インドア .アウドドアの境目なしに、家の中で使っている家具を、デッキや浜辺に持ち出すといった使い方もでき、ホースで水をかけて洗えるそうです。シングル、二人掛け、シェーズロングなどがあり、カラフルなファブリックの組み合わせを楽しめます。
金輪御造営差図
平成12年〜13年にかけて、出雲大社の御本殿前から杉の大木3本を1組にした巨大な柱が3組発見されました。その棟持柱(宇豆柱)が博物館のロビーに展示されています。この構造は千家国造に伝わる設計図「金輪御造営差図」に描かれたものと類似し、鎌倉時代1248年に造営された本殿を支えていた柱である可能性が高くなりました。この柱から想定される御本殿の高さは現在の2倍の48m。15階建てのビルに相当します。
稲吉角田遺跡(鳥取県米子市)から発掘された弥生時代の土器には、太古の出雲大社と思われる建物が描かれています。舟を漕ぐ人たちの姿も描かれていることから、海から見上げた出雲大社の原型かもしれません。鳥取の妻木晩田遺跡から見た弓ヶ浜。島根半島を繋ぎ止める綱といわれ、大山と結ばれています。
大国主大神が大地に築いた国は「豊葦原の瑞穂国」と呼ばれました。大国主大神は天照大御神へ国譲りをして、目に見えない世界を司り「むすび」によって人々を幸に導く神となりました。その住居であり全国の神々を招く壮大な宮殿「天日隅宮」には高く太い柱が立てられ、板は厚く広く築かれました。平安時代の御本殿は高さ約 48m。御本殿につづく壮大な階段が海から伸びていたとも言われます。隠岐の島には今も 50mを超える巨木が立っています。数々の研究者が出雲大社の謎に挑んできました。藤澤彰さん(芝浦工業大学建築学部教授)や宮本長二郎さん(東北芸術工科大学芸術学部歴史遺産学科教授)は、国造家に伝わる「金輪御造営差図」をもとに16丈説(48m)をとっています。一方、鎌倉時代に描かれた「出雲大社井神郷図」や現在の御本殿の高さ(24m)が現実ではないかという説もあります。柱の穴の発掘調査から、柱を斜めに穴に差し込んで、テコの原理で立ち上げる仕組みがあったことが分かっています。出雲大社に近い荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡からは、日本最多の銅剣(358本)、銅鐸(39口)が発見され大きな話題となりました。弥生時代に作られたこれらの遺物は、古代出雲に強大な王国があったことを示し、神話の世界にあった出雲の実像を明らかにすると期待されています。
銅剣や銅鐸を地中に埋め、神々へ祈りを捧げたと考えられています。銅鐸は銅・錫・鉛の合金で、黄金に輝いていました。
発掘された大量の銅剣や銅鐸は国宝に指定されています。荒神谷遺跡の銅剣 358本は日本で発掘された銅剣の総数を上回るものです。銅鐸には出雲固有の動物や文様を描いたものがあり、出雲で青銅器の製造が行われていたと考えられています。その一方で、近畿や九州のものと思われる銅器もあります。「古事記」「日本書紀」のなかで出雲系神話が大きなウェイトを占めることからも分かる通り、古代出雲には金属加工や建設・土木に優れた先端文明があり、大和王権への権力委譲ともとれる「国譲り」が行われたのかもしれません。
新連載 心・体・思考の健康をデザインする
大吉朋子(写真・文) Tomoko Oyoshi
とっておきの休み時間2時間目 Running
ランニング
ここ数年、その日の予定や天気にあわせて、毎日近所を走っている。雨が続く日は早歩き。距離はその日によって 5.10キロ、がんばりすぎないペースで続けている。
「ランニングが習慣になったらいいなぁ」と、運動する自分への憧れだけはありながら、私にとってランニングを習慣にすることは、とてもとてもハードルが高かった。
40歳を超えた頃から今までにない体の変化を感じるようになった。思うように体重を調整できなくなったこともそのひとつ。日々のあわただしさを言い訳にヨガの練習も減っていた頃、じわじわと体重が増えていた。しばらく見て見ぬふりをしていたけれど、いよいよマズイ。自分の体の様子を自覚し受け止めた。自分にちょうどいい感じより体が重め。気にしないつもりでも気分も少し重くなっていたと思う。
ちょうど今くらいの気持ちのいい季節、ついに一念発起。ランニングを始めた(さぼり気味だったヨガの練習も毎日ちゃんとやるようにした) 。
今でも忘れない最初に走った日。思ったよりも体が重くて、軽やかに走ろうにもなんだかドタドタ。4キロ走るのもしんどかった。情けないけれど、きれいな空に救いを求める気持ちで毎日がんばった。すると、1カ月もしないうちに体の重さはなくなり、ちょうどいい感じに戻っていた。いつもの感じに戻ったことで気持ちも穏やかに、自分が生き生きしていると思えた。
それ以来、走った後の爽快感や達成感も気に入って、ランニングを続けている。走る時間は気分や思考回路のリセットに最適な時間だと、ようやく私の脳にすり込まれた。気持ちがモヤっとした時、仕事がうまく進まない時、頭の中がよどんでいると感じた時は、「ランニング」。
走りはじめは色々なことが頭の中をめぐり、悶々と考えていることもあるけれど、走るうちに、時間とともに、その考えたちは消えていき、走り終わるころには悶々と考えていたことは思い出せなくなる。
考えるために走る時間も好きで、外に出る。じっとして考えている時より圧倒的に前向きで、物理的にも視界が広がり気楽になる。そんな自分を俯瞰から眺めている感覚もあっておもしろい。
走る時間は、頭の中にこびりついていたものを外の空気で撹拌して、とてもすっきりシンプルなものに仕立ててくれる感じがする。
今の季節は木々のみずみずしい匂いや、さまざまな花の香りに溢れ、それらを吸い込むごとに気分が上がり、心も潤う。疲れを感じている時でも少し走ってみると、体の疲れより、頭や気持ちの疲れだったことに気づくことも多い。
一番好きな時間は夕方。1時間くらい走る時には、走り出しの空と終わりの頃では空の色も景色も変わり、違う世界になっている。ほんとうに気持ちも思考も別の世界に移動したように思う。
ランニングの時間は、走って帰って来るまでのほんの 30分.1時間程だけれど、たっぷり汗もかき、ほんとうに気持ちがいい。ランニングは、心と思考の休息時間であり、私のエイジングケアでもある。
ヨガ数秘学
大吉朋子
2022年 5月は 11 の月2022年6月は 3の月
「11」は ”つながり ””スピリチュアル ”のエ「3」は、楽しい遊びのエネルギー、自由な
ネルギーを表す数字。マインド、クリエイティブなエネルギーを表すスピリチュアルというと難しそうですが、大い数字です。6月はみんなで楽しく過ごすことなる自然、目に見えないもの(天)とのつながぴったり。前向きなエネルギーが流れる時がり、関わりを感じるエネルギーです。ですから、一人、二人で過ごす時も「楽しむ」上手くいかないことや、何かモヤモヤするこことがポイント。そして、「考えすぎずにいろとがあったら、大自然に身をおいて、自然といろ楽しんでやってみる!」が6月のおすす
の調和をはかり、流れに任せ、ゆだねていくめです。ことがおすすめです。そんな5月、いかがお過ごしでしたか?
【5月生まれの方へ ワンポイントアドバイス】その抜群の行動力は素晴らしいのですが、時には立ち止まって
今月から「ヨガ数秘学」をお伝えしていきます。ヨガ数秘学は、伝統的なヨガの教えをもとに構築された数字からの学び。考えることも必要、動いた分の休息もとても大切です。疲れたら人は自らその日を選んでこの世に生まれるという考え方を前提に、生年月日の数字の意味を読み解き、その人の物語を紡休みましょう。ぎ出します。数字には意味があり、年ごと、月ごと、日ごとに、エネルギーは移り変わっていきます。
木次(きすき)線に乗り、斐伊川(ひいかわ)をさかのぼって奥出雲へ向かいました。古くから「たたら製鉄」の盛んな奥出雲は、素戔嗚命が退治したヤマタノオロチの地でもあります。
神社風の出雲横田駅は、入り口に大きなしめ縄を掲げています。
奥出雲のたたら炉の特徴は地下構造にあります。炭を詰めた本床や湿気を溜める小舟、粘土層、排水路を地下に作ることで、湿気や冷気を防ぎ炉の高温を保ちました。こうした目に見えない工夫によって、生産性が大幅に向上しました。奥出雲町では、今も古代から続く「たたら製鉄」が、日刀保(日本美術刀剣保存協会)のたたら場によって継承され、日本刀の原料となる玉鋼を生産しています。博物館では「たたら炉」の断面模型や吹子の実物模型を体験でき、また第 2日曜日・第 4土曜日には、刀鍛冶による日本刀鍛錬の実演が見られます(休止の場合あり)。たたら炉の断面模型は、操業 2〜 3日の様子を再現しています。粘土で作った炉に木炭と砂鉄を詰め、下から吹子で風を送ると、砂鉄が還元され底に鉄の塊「ケラ (. )」ができます。最初は船底状だった炉は、ケラにより侵蝕されます。不純物のない良質なケラが「玉鋼」となります。
「鉄穴流し」によって形成された棚田は、産業と農業が融合した循環型農業の好例として「日本農業遺産」に指定されています。
奥出雲に多く見られる棚田は、砂鉄を採取するために行われる「鉄穴流し」によって形づくられました。山の付近に水路を引き、砂鉄を多く含む岩石を切り崩し水路に流し込みます。水路を流れるうちに岩石は破砕され土砂と砂鉄に分離し、段々になった池に沈殿させることで砂鉄を取り出しました。この水路や溜め池が水田に利用され、今も盛んに米作りが続けられています。赤い水を流す水路は、ヤマタノオロチのイメージに重なります。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
素戔嗚命
出雲では弥生時代後期から「たたら製鉄」が始まり、青銅器と置き換わっていきました。鉄を使った鍬は耕作や土木の作業の効率を大幅に向上させ、出雲平野を肥沃な大地へと変えていきました。古代出雲は鉄器という最新のテクノロジーを使用し、部族間の戦いをせずに豊かな大地を広げていったのです。それこそ大国主大神のお造りなった「豊葦原の瑞穂国」の実像なのでしょう。
前回に続き、オリア・ハーキュリーズ著『Summer Kitchens』
(『夏のキッチン』2020年刊未邦訳)から、私(大原)の翻訳で「まえがき」の後半から本文の冒頭部分をご紹介します。
夏のキッチンは様々な場面で役に立つ存在です。暑さが厳しいウクライナの夏ですが、昔はエアコンのある家なんてほとんどありませんでした。それどころか台所に換気扇が付いていない家だって珍しくなかった。そんな中で、揚げ物を料理をしたり、保存食作りの準備のために、母屋とは別に利用できるもうひとつの台所があることは、それだけで便利な存在でした。普段とは違って祝い事で大人数のための料理を準備するときには、夏のキッチンで大々的に下ごしらえに取り組みます。9月。ピクルスを漬けたり、発酵食品を作ったり、他にも様々な保存食を準備する季節の到来です。家の菜園で果物や野菜を収穫して籠一杯にして夏のキッチンに皆で運び込む。そこでドアも窓も全開にして、一家総出で酢漬け作りの開始です。
その一方で最近は、母屋の台所に換気扇はもちろんエアコン完備の家も増えてきました。そのため夏のキッチンを不要なガラクタや古いスーツケースなどぶち込む物置代わりにする家もあれば、取り壊してしまう家だって出てくる始末です。夏のキッチンを残している家でも、その外壁をすべてプラスチック的な素材で覆ってしまう人たちも目立ちます。もちろんウクライナの冬の厳しさを考えれば、断熱のためにそんな今風の工夫も必要かもしれません。でもその一方で、しっかりとした造りの古い木造の夏のキッチンに、重さ2トンはありそうな、石工が手仕事で仕上げた石造りの竈(オーブン)が置か
れていて、
世紀の今日でも立派に機能しているお宅もあります。
そんな手入れが行き届いた夏のキッチンは冬、人々を寒さから守っ
てくれる場所ともなります。2009年
月に起きたガス供給危機
(ロシアからのガス供給が停止)の時、エネルギー価格が急激に高騰しました。多くの国民、特に高齢者世帯の人々は、誰もが政府を恨みながらも、母屋よりも安く快適に暖を取ることができる夏のキッチンに籠もって、その年の厳しい冬を乗り切ることができました。
一部の若者の間では、昔ながらの夏のキッチンと石造りのオーブンに対して、新たな注目が集まり始めています。とはいっても、きちんとしたオーブンが備えられた伝統的なウクライナの夏のキッチン。果たしてこれから先の未来にも、その存在が生き長らえ続けて
21
1
いくことができるかどうか。私は疑問に思っています。だからこそ私は、この実用的である上に夢がいっぱいに詰まった「夏のキッチン」を正面から見つめ直し、そこで生み出されてきたウクライナの伝統的な様々な食とレシピに愛おしさを感じつつ、何とか記録として大切にとどめておきたかった。それが本書執筆の動機です。
ウクライナの味覚(本文冒頭)
ウクライナは大きな国です(注1)。その歴史は複雑で、波乱万丈で、同時に、
魅力的です。ウクライナ(
Ukrayina
)という国名は、「境界にある大地」
地)という意味の言葉から生まれ出たものです。その名の示す通りウクライナは何世紀間にも渡って、強大な諸帝国の周縁部地域として支配され続けてきました。ウクライナの領土の大きな部分は、極めて豊かな土壌の上に、さえぎるものが何も無い草原が広がるステップ地帯です。この土地を侵略する側にとっては、この上なく魅力的な(侵略しやすい)地形です。その結果、限られた例を挙げるだけでもウクライナは、ロシア・オーストリア・ポーランドそしてトルコ各国の支配下を転々とさせられたばかりか、これに加えてクリミアタタール人やモンゴル帝国(蒙古)からも侵略を受けています。ソヴィエトの崩壊によりその支配から解き放たれるまで、「独立国ウクライナ」という存在は無かった。それは事実です。しかしながら、解放に至るまでの長い月日を掛けてウクライナの人々は、音楽的な響きさえ感じられるような美しい言語をはぐくみ、料理を筆頭に様々な独自の文化を築き上げてきました。
食文化ジャーナリストであるエリザベス・ルアード(英国人)は、含蓄に富むその著書『欧州の農民料理』の中で、ウクライナの隣国ルーマニアを評して「一種料理世界のガラパゴス島だ」と綴っています。その言わんとする所は次のような意味合いです。「ルーマニアの料理には、野菜を発酵させたもの、魚の干物、野菜や果物のピクルスなどがある。これは北欧の保存食作りの伝統が取り入れられたものだ。その一方で、生野菜や果物をそのまま使う料理やベーキング(オーブン焼き)料理もあって、こちらは地中海文化の影響が見られる」と。ルアードがルーマニア料理について綴った言葉はほぼそのまま、ウクライナの食文化についても当てはまる感じです。東にロシア、西にポーランド、北にベラルーシ、そして南西にはルーマニアとモルドヴァ。黒海を挟んでトルコもまた石を投げれば届くほどの距離にある隣国です。ウクライナの料理は、これら地域の様々な要素が含まれる極めて多様性に富んだ世界なのです。
このような歴史的背景があるウクライナは、他民族の宗教や文化から多大な影響を受け続けてきました。そのため、その多彩な要素が食文化にも取り入れられ、これが独自の文化と融合することで、欧州でも類を見ないほど多様性に富む極めて魅力的な食文化が誕生するに至りました。例えばスロバキアに接するザカルパトスカヤ地方の村々では、ハンガリー、スロバキア、ポーランドの様々な料理が、
(係争の
ウクライナ固有の地域名やモノの名称等については、本書英語版に記載されたアルファベットから推定される読みをカタカナで表記しています。著者の出身地であるカホーフカは、黒海沿岸すぐで要衝オデーサまで至近であるため、今年の3月の段階でいち早くロシア軍に制圧されています。
(注1)ウクライナの国勢(外務省基礎データ)面積=日本の約 1.6倍人口(クリミアを除く)=4,159万人(2021年)民族構成(2001年国勢調査)ウクライナ人 77.8%ロシア人 17.3%ベラルーシ人 0.6%その他モルドバ人、クリミア・タタール人、ユダヤ人等主な宗教=ウクライナ正教及び東方カトリック教。その他ローマ・カトリック教、イスラム教、ユダヤ教等国民1人当り GDP=3,726ドル(2020年、日本の10分の1以下)
伝統的なウクライナ料理であるボルシチやヴァレニキ(一種の餃子 =ギョーザ)と同じテーブルに仲良く並ぶ様を見ることができます。この様々な要素がモザイクのように組み合わさった食文化は、ウクライナ全土のどの家庭にも見られる共通した特徴です。「私のおばあちゃんは、自分の生まれた村から一度も引っ越したことがない人なのね。それなのに書類上では、生まれはチェコスロバキア、結婚はハンガリー、そしてソヴィエトで亡くなった、ということになっているんだから……」(村の属する地域の支配国が次々と変わったため)とは、ザカルパトスカヤ出身の友人の言葉です。
かつてウクライナを支配したロシアとオスマントルコ帝国はそれぞれ、帝国各地の領民に対して、広大なウクライナの土地への移住を政策として奨励しました。その結果、ウクライナ南西部には、ブルガリア人やモルドヴァ人中心の村々が点在しています。南部ヘルソン地域には、歴史的にドイツ系やスウェーデン系の移民が中心になっている町や村があります。また西部のリビウや黒海に面した南部オデーサそしてブコビアの全域では、かつてヨーロッパでも最大規模のユダヤ人社会が存在していました。こうした様々な異国文化の多彩な影響は、ウクライナのそれぞれの地方の食文化の中に、今も確実にその痕跡を残しています。
ウクライナ南西端のクリニチェン地方には、褐色の肌に青い瞳のブルガリア系
植民の子孫が住んでいます。そこでは女性が床に座り、シーニーと呼ばれる低い
テーブルの上で、専用の細いめん棒を使ってドウ(ライ麦に小麦や大麦またジャ
ガイモ等を混ぜ合わせてこねたもの)を伸ばします。この薄いドウで塩気の強い
チーズを包み込んで出来上がる料理は、そう、トルコの伝統的な料理ゴズレメー(gozleme)によく似ています。彼らの住まいの壁はギリシアン・ブルーに塗られ、
台所にはウクライナ伝統のラシュニクと呼ばれる色彩豊かな刺繍がほどこされた
布が掛けられています。広い地域と多様な文化を包み込んでいたオスマン・トル
コ帝国の文化的融合が、ウクライナの夏のキッチンに残した痕跡です。
以下、次号へと続く。
ご存知ですか?神宮外苑は高層ビル街へ
神宮外苑地区市街地再開発事業(仮)
いちょう並木入り口に立つ、明治神宮奉賛会会長徳川家達による石碑には「青少年の心身鍛錬の場として、また遊歩を楽しむ人々の憩いの場として長く後世に残される」と記されています。
1926年の開園以来、100年近くにわたり緑豊かな憩いの場として親しまれてきた「明治神宮外苑」。進行中の「神宮外苑地区市街地再開発事業(仮)」によって、その姿を大きく変えようとしています。神宮外苑は、明治天皇、昭憲皇太后を祀る明治神宮の外苑として「聖徳記念絵画館」を中心にスポーツ施設が整備されました。もとは青山練兵場の跡地で、建造費は国民の寄付、献木、青年団の勤労奉仕により賄われました。折下吉延博士によって設計された4列のイチョウ並木は、最高24m、最低17mに整えられ、並木道に遠近感をだしています。
東京都が再開発計画の詳細を公表したのは2021年12月。同日に住民説明会が開かれ、資料は2週間だけ公開されました。多くの周辺住民や利用者が計画の存在を知らないまま、2022年2月には異例のスピードで東京都都市計画審議会で承認され工事が始まろうとしています。4月27日には、神宮外苑を歩きながら計画案を知るためのフィールドワークが、風見利男港区議員(共産党港区議団)の呼びかけで行われました。
高層ビルの街へ変貌する外苑
「聖徳記念絵画館」から見た神宮外苑。都心では貴重な広々とした空と草野球場(軟式グラウンド)が広がります。神宮外苑は日本初の風致地区として、建物の高さが15メートルに制限されてきました。それが2020東京オリンピックの新国立競技場建設を機に高さ80mに緩和され、さらに「スポーツクラスター」(運動施設の集中)という大義名分のもと、高層建築が次々に建設されています。なぜスポーツのために高層化が必要なのかは不明です。
パークアクシスオラクル
伊藤忠ビル
THE COURT神宮外苑は周囲に公開空地(上)を設けることで、容積率の緩和を受けています。
国立競技場からは、日本オリンピック委員会 (JOC) の本部ビルJAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE(最高高さ63.70m)やTHE COURT神宮外苑が見えます。 THE COURT神宮外苑は1964東京オリンピックのプレス宿舎だった外苑ハウスを建て替えたもので、地上23階(最高高さ85.50m)です。
明治公園内に民間の施設が建てられ、その収益を利用して公園の整備を行います。節税になる一方、施設の収益性が求められます。
1964東京オリンピックの際に、道路拡張工事等で立ち退いた住民のために建設された「都営霞ケ丘アパート」。2020東京オリンピックを機に取り壊され、住民は2度もオリンピックによって翻弄されました。跡地は「明治公園」として整備が進んでいます。東京都は初めて公募設置管理制度(Park-PFI)を採用し、東京建物、三井物産、読売広告社、日テレなどの「Tokyo Legacy Parks」が事業者となりました。
新緑の候、茶摘みの季節だからかな?グリーンのお茶に手が伸びる回数がなにげに増えた気がしている。毎日のティータイムは欠かせない潤滑油であり、ひとときフーっと疲労がほどけた気分になれる。寒い日だと熱めのミルクティがほっこり身体をあっためてくれるし、毎朝淹れるコーヒーは目覚めと潤いを与えてくれる心強い相棒さんと言っても過言じゃない。
思考のお供、会話のお供、食事のお供にいつも寄り添ってくれるさまざまな飲み物さんは室内ワークに勤しむ者にとって、このコロナ禍事情において無くてはならない必須アイテムとなった。そういった傾向はコンピューターの普及と足並みを揃え、知らず識らずのうちに浸透したといえなくもない。
ただ、なるべくならばペットボトルではなく、それなりに見合った器で口にしたいもの。その季節の天候や気分に合わせ、カップや菓子などの容器を選ぶのもいとたのし。少しレベルアップな時間になるでしょうし、心静まるBGMがセットなら極上になるはず。そんな貴重な「おやつ時」にどこからともなく邪魔しにやってくるジェット機騒音の波。。窓を開けて換気をしよう
その26にも、旅客機からの轟音と粉塵、排気ガスの風圧を塞ぐ手立てを施さなくちゃ、である。
この2年間、室内環境を少しでも騒音防止するためどれだけの苦労と労力を尽くしてきたことでしょう。自分なりにあり物の知恵と工夫で必死に対青山かすみ処してきたつもりなのだが(とても人様に見せられませんが)。先日、久しぶ
南風なれども
りで窓際のベランダを掃除したら、粉塵が粉を吹いたみたいに白く積もってて、マジ、びっくし。公害問題として扱うこともありかもー!しかし、環境省の方々含め、お役所の皆様方ってこういった羽田新ルートの騒音問題、環境問題をどう考えてる?見て見ぬ振り?
ただ先月、北海道知床沖で観光船が沈んだ事故後以降、国交省が慎重になってきたように思う。過去2年の飛行状態を紐解けば、曇り空や雨模様の天候でも低空飛行で平気でバンバン飛ばしてたのに、ここへ来て飛ばす率が減った。
大事故が起きて初めて対処するのでは、時すでに遅し、取り返しがつかないの〜!
とはいえ掃除する上空を、米軍のブラックホークがぶりぶり言わせてひく〜く飛んで行きましたとさ。。沖縄復帰 50年?日本が日本として本当の意味で復帰できることを望みたいと切に願うばかりである。さーて、三年目に突入の騒音対策へも少しは進歩性を見出したいところなのだが……私の小言はますます増してゆく?
上の図が、神宮外苑地区市街地再開発事業(仮)の完成予想図です。大きく変わる点は、①神宮球場と秩父宮ラグビー場の位置が入れ替わる。②伊藤忠商事本社ビルが建て替えられ、現状の約2倍190mの高さになる。その他高さ185mの複合オフィスビル、高さ約80mの宿泊施設も建つ。③軟式野球場、バッティングセンター、室内練習場、ゴルフ練習場(第2球場)、カフェなど一般の利用施設が無くなる。④樹齢100年を超える1000本以上の樹々が伐採される。といった点です。工期は13年を予定しています。
超高層を可能にする「容積移転」
伊藤忠本社ビルは、隣接する「CIプラザ」と一体で建て替えられます。高さは約190mで強いビル風が懸念されています。
伊藤忠商事東京本社は1980年竣工。高さ約90mのビルが2倍以上の190mのビルに建て替えられ、日照や強風、景観への影響が懸念されます。高さ190mのビルを建てられるのは、神宮球場などで余った容積率を移転する「容積移転」を利用するからです。いま各地で容積移転による高層ビル開発が紛争になるなか、東京都は急いで開発許可を与えていると思われます。隣接する「伊藤忠CIプラザ」には、ITOCHU SDGs STUDIOが設けられ、SDGsの実践企業であることをアピールしていました。草野球場として愛されてきた絵画館前の軟式野球場は、会員制のテニスコートになる予定です。下はバッティングドーム。
青少年の心身鍛錬の場として計画された神宮外苑には、各種のスポーツ施設が作られてきました。大学野球の聖地神宮球場(大正15年)、ラグビーのメッカ秩父宮ラグビー場(昭和22年)、高校野球予選会場兼ゴルフ練習場の第2球場(昭和36年)、戦後GHQの野球場をルーツとする軟式野球場、バッティングドーム、室内練習場など、スポーツを愛する人の思い出を刻んできた場が失われます。2020東京オリンピックの際には多くの施設が休止し、外苑への立ち入りも制限されましたが、今後は恒久的に限られた人の場へと変わりそうです。
再開発計画の中で大きな問題になっているのが、全国から献木された樹齢100年を超す約1000本の樹々が伐採されることです。イチョウ並木の中間あたりに、秩父宮ラグビー場に向かうイチョウ並木があります。これは元々、女子学習院の並木道でした。こうした歴史ある貴重な樹々が、再開発のために伐採されようとしています。
利益優先 …縮小されるスポーツ施設
最新の再整備案(サブトラックが無くなり、球場が並木に近い)
オリンピック時。軟式球場を仮設サブトラックに利用。2012年の初期再整備案(恒久サブトラックがある)
東京都は再開発の目的にスポーツの拠点整備「スポーツクラスター」を掲げてきました。しかし計画の経緯を見ると、高層ビル計画によってスポーツ施設が追いやられていく過程が分かります。上右図は、日本共産党東京都議会議員団が情報開示請求をした再整備計画の初期案です。ラグビー場と神宮球場が入れ替わり、国立競技場のための恒久陸上サブトラックを作る計画がありました。その後、右図のように高層ビル(複合棟A、Bなど)の計画がもち上がると、球場はイチョウ並木に密着しラグビー場が新国立競技場に近づくことでサブトラックは廃止されました。サブトラックがないため、新国立競技場は陸上の国際大会などに利用できない事となりました。
再開発の事業主は、三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事で、土地の大半は明治神宮の所有地となっています。第2球場脇の道ではすでに水道管移設工事が始まっていました。解体・建設によって10年以上は利用が制限されそうです。明治神宮は外苑の維持管理を担い、球場、テニスコート、駐車場、売店・食堂などから年に数十億円の収入を得ている報道もあります。また高層ビルへの「容積移転」によっても利益を得る可能性もあります。外苑は明治神宮等の所有地ではあるものの、国民の寄付や勤労奉仕、献木によって誕生しました。計画には東京都も深く関わっており、緑を維持し公共性を重視した開発が行われるべきという声があがっています。
日本イコモスの石川幹子さん達が提案した代替案「神宮外苑:夢のかけはし」。球場とラグビー場を入れ替えないことで、樹木をほとんど伐採せずに、工期の短縮も図れるとしています。
【 Webマガジン コラージは、オフィシャルサポーターの提供でお届けしています 】