被災された方の生活を支える
〈令和6年能登半島地震災害義援金〉
(日本赤十字社)にご協力お願い致します。
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時空を超える美意識 美を開拓するものたち Artists who portray new sense. https://collaj.jp/甘露 2024 オリーブの杜から望む相模湾。黒潮の暖かい海風が木々を育て、杜から流れる水が多種多様な生き物の暮らす海を育てます。 真鶴オリーブ園の収穫祭 日本のオリーブ普及を妨げてきた原因のひとつにオリーブアナアキゾウムがあります。この虫による被害は日本だけで、江戸後期にオリーブが植えられた当初からあったようです。成虫はオリーブの樹皮、葉、果を食すほか、幹の根元に卵を生み、孵化した幼虫が幹の中を食い荒らし木を枯らします。早期発見のため日々の点検が欠かせません。幼虫のフンや木くずなど小さなサインを見つけるため、木の根元 草刈り担当のヤギ、ユキとマナも元気です。自由に遊べる は常にきれいにしておきます。見つけたら 運動場もできました。ヤギが草を食べ排泄物を堆肥にして 幹をほじくり幼虫を探し出して殺します。 畑にまく循環型農業を実践しています。 被害を防ぐため猛毒の農薬スミチオンを使う農園も多いなか、真鶴オリーブ園は無農薬を続けています。 真鶴オリーブ園ではいま、作業小屋の建設が始まっています。ここにイタリア製搾油機を設置して、今シーズンからオリーブオイルの搾油を開始する予定です。オイル用のオリーブの実は、新漬け用よりも成熟させるため10月末から11月初旬にかけて収穫します。 翌日の収穫祭にそなえ、オリーブの新漬け(オリーブドルチェ)を作るため苛性ソーダ水を調製します。苛性ソーダ 76gを4リットルの水に入れよく溶かし1.9%のアルカリ性溶液を作ります。分量を正確に測るのがポイントで、目に入ったり吸い込まないよう慎重に作業を行います。 オリーブの葉はボリフェノールを沢山含んでいます。 来園者に提供するオリーブ茶も前日に沢山準備しました。オーブンで焼いて乾燥させたオリーブの茶葉を、沸騰したお湯4リットルに100〜150gほど入れて3分間煮出し、冷やしながら取り除きます。茶葉を取り出しもういちどお湯に入れて煮出すと 2番茶ができます。2番茶の方が 1番茶よりも色や味が濃く出るようです。 10月 2日収穫祭の朝。5時 40分に相模湾から太陽が昇りました。 Vol.64 原作:タカハシヨウイチ はら すみれ絵 : タカハシヨウイチ 黄金色のイチョウの葉は暑かった今年の太陽の光のカケラみたいだ 30人近い来園者があつまり、牛山喜晴園主からブリーフィングがありました。晴天に恵まれ 10月にも関わらず気温は 30℃超え。こまめに水分をとることが大切です。3チームに分かれ、それぞれのチームリーダーが紹介されました。みかん園時代のオーナー曽我さんやお友達も応援に駆けつけてくださいました。 フィールドに出て、オリーブの摘み取りが始まりました。実をひとつづつ丁寧に摘んでいきます。ブラックオリーブの木は、枝いっぱいに実をつけていました。 思い思いのスタイルでオリーブを摘み取っていきます。 この日は 80kgの実を収穫しました。残りの実はオリーブの搾油にあわせ収穫する予定です。乾杯のあと昼食をとり、オリーブの実の選別が始まりました。ヘタをとり、虫食いや傷んだ実を取り除きます。オリーブの実にさわっていると自然と会話がはずみ、コミュニケーションの輪が広がっていきます。選別したオリーブの実を水洗いしてから2kgずつ袋に入れ、昨日用意したアルカリ性溶液の水 4リットルのガラス瓶に 4kgずつ入れていきます。実に含まれたアク(ポリフェノール)が茶色い水となって出てきたら水を数時間ごとに交換し、10日ほどかけてアク抜きを行います。アクが抜けたあと食塩水に漬けると、オリーブの新漬けが完成します。 開発中の「オリーブオイル配合美容液」。真鶴オリーブ園で昨年とれたオリーブオイルを使った試作品です。来園者に試して頂いたところ好評でした。 オリーブのトンネル。木々が日々生長を続けています。 称名寺 鐘撞堂 千ヶ滝の別荘 広島呉の「称名寺鐘撞堂」(2019年)は、「ある」というより「いる」、まるで自らの意志でそこに佇んでいるような建築だそうです。駆体は杉の木材を 3次元に削り出したものでつくられ、屋根の杉板張りには呉工業高専の学生たちが参加しました。初のプロジェクトとなった「千ヶ滝の別荘」(2005年〜 unbild)は、12mmの鉄板が自重で変形する曲面を活かした設計です。森のなかでなるべく自然な形を探した結果うまれた構造とのこと。生き物のような佇まいをした建築たちは、鹿やフクロウが森に「いる」ように存在します。 東松島 子どものみんなの家二重螺旋の家とその展開 東松島「子どものみんなの家」(2013年)は、東日本大震災の後、仮設住宅団地の中につくられた子ども集会所です。とんがり屋根や丸屋根の家が未来への夢をかきたて、クリスマスには子どもたちが動く家に乗り込み仮設住宅街を練り歩きました。東京谷中に計画された「二重螺旋の家」(2011年)は、谷中の路地が空中に巻き上がるように展開し、内と外の螺旋が重なることで行き止まりのない空間が生まれました。 木漏れ日の小屋 中庭には熊本地震震災ミュージアム「きおく(KIOKU)」の模型と、展覧会にあわせつくられた「木漏れ日の小屋」が建っています。KIOKUは震災遺構として保存されている旧東海大学阿蘇校舎 1号館のそばに建ち、震災の記憶を伝える施設です。上階の展示では沢山の模型が赤い幕のなかに置かれ、o+hの世界観を伝えていました。 熊本地震震災ミュージアム きおく(KIOKU) 卓上のきら星たち ★コーシャとデリカテッセンその4大原千晴 155 食文化ヒストリアン英国骨董おおはら ■ミートボールの煮込み 今から500年ほど前(西暦1500年頃)のイベリア半島。現在のスペインとポルトガルで暮らしていたセファルディ系ユダヤ人の家庭料理。これがなかなか贅沢なもので驚かされます。では、彼らは実際にどのような料理を楽しんでいたのか。例えば「アルボンディガス( Albondigas)」。この料理名、現在のスペインでは、トマトソースやアーモンドソースを使った「ミートボールの煮込み」を意味しています。でも500年前にセファルディ系のユダヤ人が作っていた「アルボンディガス」は、同じミートボールでも、かなり違っていました。 主たる材料は、牛(または羊)ひき肉、玉ねぎ、卵、パン粉。調味料として、アルモリ(スパイスミックス)、ワインヴィネガー、コリアンダーの種子、乾燥タイム。他に、オリーブ油、ニンニク、牛骨の出汁、葉野菜、ヒヨコ豆。ざっとこんなところです。作り方は長くな 野菜と肉とワインるので省略しますが、出来上がりは、スコッチエッグ的な「卵の周りを挽き肉で包みこんだもの」と豆と葉野菜の煮物、という感じです。ここ数回の連載でも触れた「サバスシチュー」と同じく、主に安息日である土曜日のお昼のメニューで、金曜日の日没から弱火(熾おきび火)で土曜日の昼までじっくりと煮込んだ一品です。これに加 えて、キャベツやレタスなどの葉野菜をワインヴィネガーとオリーブオイルのドレッシングで調味するサラダも出されていました。ほとんど現代顔負けです。同時代の西欧全域を見渡してみても、王侯貴族でもない都市住民がこれほどの水準の食生活を営んでいたというのは極めて例外的なことです。 ミートボールのアーモンドミルク煮込み ■豊かな食材 当時彼らが入手できた野菜は思いの外豊富なもので、キャベツ、レタス、ニンジン、カブ、ほうれん草、ナス、アーティチョーク、カリフラワー等々などは日常的に使われていました。また木の実や果実として、オリーブ、レモン、オレンジ、ブドウ、イチジク、ザクロ等々を挙げることが出来ます。この豊かさの背景にはかつてイベリア半島を支配した古代ローマ帝国の影響も多少はあります。しかしその大半は、なんといっても、8世紀中頃からイベリア半島の大半を支配したイスラーム勢力であるウマイヤ王朝( 756〜 10 31)の遺産です。ウマイヤ朝は元々の本拠地が現在のダマスカスであり、当時その地域の先進的な農業技術(特に灌漑)と農産物の豊かさは、抜きん出たものでした。それがまるごとイベリア半島にもたらされた。これにより半島に多様な農産物と豊穣なる食文化が生まれることになります。コルドバのイスラム水車遺構 ■ワイン作りと豚の飼育 注目すべきは、原則禁酒のイスラーム圏であるにもかかわらずウマイヤ王朝下では、元々行われていたブドウの栽培が奨励され、ワインづくりが盛んになったことです。キリスト教徒やユダヤ教徒が消費したほか、重要な輸出品の一つとなっていました。またイスラーム教徒とユダヤ教徒には禁忌であった豚の飼育。これについても、キリスト教徒が飼育することは許されていて、現在スペインを代表するイベリコ豚や生ハム(ハモンセラノ等)の誕生につながっていきます。ウマイヤ王朝は1492年以降半島を完全に制圧したカトリック王朝とは異なり、支配者として他宗教の信者たちに対して、一定の範囲で寛容な政策を行っていました。 セファルディ系のユダヤ人たちは、ウマイヤ王朝下でもたらされた豊かな食材と食文化を取り入れて、自身の宗教的な食の戒律であるカシュルートに合わせる形でこれを工夫し料理することで、独自の食文化を築いていきます。その代表的なものが、冒頭に挙げた "Albondigas"(ミートボール)なのです。ところで、この料理名の語源はアラブ語でヘーゼルナッツを意味する "al-bunduqa"という単語です。この言葉の音がスペイン語風に変化して、 "Albondigas"(ミートボール)なったと言われています。ではなぜ、ヘーゼルナッツがミートボールにつながるのか。要はその形状です。元々この料理(ミートボールの煮込み)は、中世のペルシアからウマイヤ朝の本拠地であったダマスカス周辺で日常的に作られていた料理なのです。その当時のミートボールは今よりも小さく、ヘーゼルナッツを思わせる大きさであったために、この料理(ミートボール)を "al-bunduqa"(アルブンデゥクァ)と呼んでいました。これがスペイン語風に変化して "Albondigas"(アルボンディガス)となった、というわけです。 21 ■色濃く残るアラブの影 こうした歴史的経緯があるため、スペインにはアラブ語起源の地名や単語が今も多く見られます。食文化関連では次のような単語が挙げられます。米(アロス Arroz)、オレンジ(ナランハ naranja)、レモン(リモン Limon)、オリーブ(アセイトゥーナ Aceituna)、アーティチョーク(アルカチョーファ Alcachofa)、ほうれん草(エスピナカ Espinaca)、ニンジン(サナホリア Zanahoria)、ナス(ベレンヘナ Berenjena)、サフラン(アサフラン asafran)、アーモンド(アルメンドラ Almendra)……まだまだ続きます。これを見れば一目瞭然。現在のスペイン料理の基礎は、ウマイヤ王朝時代( 75 6〜1031)に築かれた。そう言ってもいいのではないでしょうか。このように古い時代から食文化は、数千キロの距離を超えて異国の地に伝播されていきます。人が動けば食文化も共に動く。その長い道筋の解明は世紀の食文化史学の最重要分野のひとつとなっています。その研究者たちの地道な研究成果があるがゆえに、こうしたお話ができるわけです。 ■異端審問 では、500年前にセファルディ系のユダヤ人(主に都市の住民)が日常食べていた料理の食材と作り方から食べ方に至るまで、なぜ細かく知ることができるのか。それは「隠れユダヤ教徒」を裁く「異端審問」の裁判記録の中に、彼らの贅沢な暮らしぶりがうかがわれる描写が多く記されているからです。異端審問とは一体何か。ごく簡単にいうと次のような感じです。 8世紀初頭、イベリア半島のほぼ全域とフランスの一部までがイスラーム勢力の支配下に置かれます。その後、半島の北部に追い込まれていたカトリック勢力が力をつけ、徐々に南下しながら、その支配地域を拡大し始めます。世紀初頭には、半島の北半分がカトリックの支配下となっています。世紀半ばには、半島の南部にへばりつくように残されたアンダルシアを除いて、ほぼ全域がカトリック勢力の支配下に。そして 14 9 2年、半島全域がカトリック勢力の支配下に置かれ 4 ることにより、現在のスペインという国家の土台が完成します。 13 その過程で、カトリックの支配下に置かれた地域のイスラーム教徒とユダヤ教徒に対しては、「カトリックに改宗せよ、でなければこの地を立ち去れ!」という厳しい布告 15 が出されます。当然のことながら、大半のユダヤ教徒は大きな心の葛藤を抱えながらも「生きるための方便」として表面上「カトリック教徒」への改宗を受け入れます。こうして新たに「カトリック教徒」となった彼らは「コンベルソ」(改宗者 Converso) 1 とか「新キリスト教徒」とか「クリプト・ユダヤ人」(隠れユダヤ教徒、 Jud.os de la cripta 英Crypto-Jews)などと呼ばれて、一般のカトリック教徒からは常に疑いの目で見られていました。実際、大半の改宗ユダヤ教徒は、キリスト教会のミサに参加したり、家のどこかに十字架を置いたりして、表向きはカトリック信者のふりをしていました。が、その本来の信仰を捨て去ることはほとんど無く、家の中では従来通りユダヤ教の様々な儀式を行い、その信仰の核とも言える食の戒律カシュルートの規定に従った食生活を守り、金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日とする生活を続けていました。 誕生して間もないカトリック国家スペインの王権は、隠れユダヤ教徒や隠れイスラームの存在を許しませんでした。こうした「偽カトリック教徒」を見つけ出して厳しく処断(時に火あぶりによる死刑)するために設置されたのが異端審問所です。異端審問は1478年、カスティーリャ女王イサベル世とフェルナンド 2世が、教皇シクストゥス世の許可を得て開始されます。カトリック勢力が半島全域を支配下においた1492年以降、特に「隠れユダヤ教徒」に対する追求は苛烈さを増していき、その追求はスペインが新たに植民地として開拓を進めていった南北アメリカ大陸にも及んでいきます。この異端審問という政治宗教的な制度が正式に停止(廃止)されるのは、1834年。ほぼ360年間という長きに渡ってスペインで行われ続けたことになります。その膨大な審判(裁判)の記録が残されていて、そこに、ユダヤ教徒の食生活に関する記録が多数記されているのです。 というのも、ユダヤ教徒の食の戒律に従った食生活のあり方こそが、ユダヤ教徒とキリスト教徒の違いを見分ける最も有力な判断基準(証拠)となるものだったからです。「家の中では密かにカシュルートに従った食生活を営んでいる」裁判で証人として出廷した、カトリックの家事使用人や近隣の住民の証言が証拠とされました。多くのユダヤ人が地元のカトリック教徒を家事使用人として雇っていたわけで、主に商工民であった彼らが、都市の中でアッパーミドルクラス以上の暮らしぶりであったことがうかがえます。このこともカトリックからの嫉妬の対象となっていて、密告の対象となりやすかった一因と言われています。というわけで、皮肉なことに、この恐ろしい審判の記録を通して私たちは、セファルディの豊かな食生活を知ることができるのです。 Event Information JAZZ LIVE AT TIME & STYLE ATMOSPHERE 2024年 10月 13日(東京南青山) TIME & STYLE ATMOSPHEREにて10月13日、イタリアのギタリストアレッシオ・メンコーニさん、ベーシスト楠井五月さん、ドラマーセバスティアン・カプテインさんトリオによるジャズライブが開かれました。 最も優れたジャズギタリストとして世界的な評価を得るアレッシオ・メンコーニさんは、イタリアジェノバで生まれ16歳でプロデビュー。以来世界中をまわりながら様々なミュージシャンと共演してきました。この日はボサノバの名曲や若い頃に影響をうけたチャーリー・パーカーの「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」など、ギブソンの名器「ジョニー・スミス」を操って 2時間近くにわたりたっぷり聴かせてくれました。展示されたピーター・ズントーの家具とジャジーで大人なサウンドがコラボして、豊かな空気が流れます。 ベースの楠井五月さんは、家具産地としても知られる旭川の出身。エレクトーンやエレキベースをへて法政大学ジャズスタディクラブでコントラバスに出会いました。井上陽介氏に師事し大学在学中からプロ活動を開始。国内外のアーティストとのセッションを続け、2020年にはソロベースアルバム「NEW HORIZONS」を発表しました。 ドラマーのセバスティアン・カプテインさんはオランダ・ウフストヘーストに生まれ、最初はチェロを学び 14歳からドラムを始めました。グローニンゲン音大卒業後 NewYorkに渡りトゥーツ・シールマンス、ミカエル・ボーストラプ・トリオ、ジェシ・ヴァン・ルーラー、ジャメズ、ブラッド・メルドー、タイス・ヴァン・レア等と共演。世界 40カ国以上で演奏活動を行い、現在は沖縄に在住しています。 心・体・思考の健康をデザインする とっておきの休み時間32時間目写真&文 大吉朋子 11月は種をまき、はじめてみる。 師走の気配も漂う11月。世の中のエネルギーは新たなスタートのタイミングを迎えます。今年 2月からの流れが10月で一巡して終わり、11月は次のサイクルがはじまります。 10月に手放したところに余白ができ、新しいエネルギーを迎える準備ができています。まだ手放すことも終わらせることもできていない!という方は、残りの10月で潔く手放し、完結を。どうしても終わらない…という場合には、いったん区切りをつける意識で進めましょう。10月の重たいエネルギーは11月に持ち込まないように。 11月、まずやることは 「種をまく」。植物も作物も種をまかないことには発芽も開花も実りもしません。まずは種まき、ですが、2024年は特にエネルギーが強烈な年で、ビジネスやお金の動きに勢いがあり、やや激しめ。この強いエネルギーは 2025年1月の終わりごろまで続きますから、より「いい種をまく」ようにしたいところです。 そして、「何かを始めてみる」。仕事でもプライベートでもささやかなことで OK。始めたことの変化ってすぐには見えません。ダイエットもしかり。すぐに結果が見えなくても、続けていけばいずれ変化し、何がしかの結果に結びつきます。すぐに成果や結果がでることは長続きもしないですから、気楽に気長に取り組めるというのがポイントです。身軽にスタートいたしましょう。 初心 秋。日が暮れるのが早いのは寂しいけれど、空気はカラッとひんやりして気持ちがいい。空気も澄んでいて、慌ただしい中でも全体的にクリアな印象があって、なんとなく気持ちも引き締まる季節。 人生のキャリアを重ねていくと、若い時には恐ろしく苦労したことがすんなりできるようになったり、悩むことなく進めるようになったりと、それなりに良い部分が増える。時間の重みやその中で起こったことから逃げずに耐えてきた自分、その環境や状況を思い起こし、ありがたいとしみじみ思う。一方で、経験値が上がるほど自分のバイアスも厚くなりがちなことも確かで、いかにニュートラルな自分でいられるか、ということにけっこうなエネルギーを使っているものだと自分を眺める。 20代、私は嫌になるほど脆くて危うくて気が強くて超不器用で、何をするにも遠回りをしていた。「ナンデオマエはダメなんだー!」と繰り返し怒られていたし、本当に自分のコントロールが難しく、自分で自分の取り扱いが大変だった。「謙虚になれー!」と怒鳴られたのも数知れず …私の不完全さ具合も確かにひどかったものの、そのゲキも随分ひどいものだったなぁと今は思う。そして、当時の私は相当エネルギーが強かったのだと自分で驚く。今だったら心折れるかもしれない、というか折れるんだから、さっさとそこから逃げるはず (笑 )。それでも、そんなしんどい体験というのは、渦中では良いことなど何もないのだけれど、当時「今のこの逃げたいイヤな気持ち、1か月後も同じだろうか?」と、自問自答、自分会議をしていたことを鮮明に覚えている。その瞬間の景色まで覚えているくらい、自分を鼓舞するためにぐちゃぐちゃな状態ながらに一人会議。あきれるくらい、年がら年中繰り返していたなぁ。 月日が流れ、環境が変化する中でも、若い自分に向けられた「謙虚になれ」という言葉は良くも悪くも忘れられない。当時はどうしたら謙虚な人になれるのか、本当にわからなかった。たぶん方法を教えてもらってもできなかったと思う。常に戦闘モードで、自分が腹落ちできないと人の話を聞くことができなかった。28か29歳だったか、ぐるぐる渦の中でもがくのに精一杯、謙虚な人へと脱皮するなど到底無理だった。そもそも、一朝一夕で変わることなどないわけで、それなのに「変わります」「心を入れ替えます」などと念仏のように唱えて、戦闘モードと自粛モードを繰り返し過ごしていた私。ほんとうに若い時というのはエネルギーの塊なのだ。 更年期世代となり、それなりの自覚も板についてきた最近でも、時々これらのエピソードを話すことがある。今でこそ一丁前の大人に見えるかもしれないけれど、ダメ.すぎた自分時代がまぁまぁ長い。やっとダメ.時代をフツウ時代が上回ってきたところだから、その頃の話をすると今の大吉さんとのコントラストに驚かれる。そして、生身の人間が時間を経ることでそれなりに変化するのだという事実とその面白さを拾っていただく。有難い。 20年以上前の多くは記憶が薄いものの、始まりの時、物事が進んでいる時こそ、その頃の痛い思いや、そこから得た気づきが頭に浮かぶ。慢心せず、謙虚に。今の自分のアンカーをしっかり地球に埋め込んで、いつも初心を忘れず、身軽に大人のダッシュ。痛すぎる思い出も時間と共に人生の色どりとなり、面白い物語になり、半面教師でもあり、やっぱり大事。ここのところ時間がモーレツな勢いで過ぎ去るからか、自分のアンカーに意識を留めようとしている。あらためて、重い思いはサヨナラしても大切なものは残るのだとも気づかされる。 黒地百合蒔絵螺鈿中次(昭和 26年) 黒地歌劇雛祭楽譜蒔絵棗 逸翁好(昭和 8年) 昭和 13年には武者小路千家 12代家元愈好斎と木津聿 逸翁美術館は、阪急電鉄や宝塚歌劇団の創始者である 斎が組織した「清技会」にも名を連ね、小林一三や武者 小林一三の雅号「逸翁」を冠した美術館で、茶人としても 小路千家お好みの作品を多数制作しています。 知られた逸翁の美術工芸品 5500件を所蔵しています。 3 南風なれども m m m 麻布台ヒルズ3本の超高層ビルが完成に近づいています。 mと東京タワーとほぼ肩を並べるというビルの最上階には、一室300億円のマンションがあると話題になりましたが、実はこの建物、航空法違反です。 羽田空港の制限区域内にあり、本来は程度のビルしか建てられません。しかも羽田新航路の進入ルートに近く、この地点の飛行機の高度は程度なのに、なぜビルの建設が許されたかは公表されていません。一説には高さの東京タワーに近いため、あまり影響はないだろうと国交省が特例にしたらしい。つまり元々ある東京タワーが危ないんだから、近くにもう 本くらい建てても大丈夫じゃんということです。 一方、羽田新航路に反対する東京都と川崎市の住民が新航路の設定取り消しを国に求めた裁判の結果が先月9月20日にでました。 その53 青山ナシヲ 東京地裁の岡田幸人裁判長によって訴えは却下されました。「住民に騒音被害の受忍を義務付けたり、墜落・落下物の被害による生命、身体への危険を負わせたりすると認められない」とのことで、「経路上の障害物に航空機が衝突して墜落、破損する可能性が高いなど特段の事情はない」から住民たちに訴訟を起こす資格がないとケンモホロロです。麻布台ヒルズという立派な障害物はありますけど……。事故が起こったらこの裁判官は責任とれるのでしょうか? 予測不可能だったで片付けられるんでしょうね。 新航路は海外の方に都心の不動産を売るモクロミから始まったと言われますが、国交省がかたくなに羽田新航路を続ける理由は都心上空に旅客機が飛ぶ姿が見たいと夢見た国交省 OBの悲願を叶えることです。それなら素直にそう言ってくれればいいのに……。高い所に住みたいとか、空から東京を見せたいとか、どうでもいい事で沢山の人の犠牲があればあるほど、満足感を味わう方っていらしゃいますよね〜。 六本木アートナイト 2024 2024年9月27日.29日 2009年にスタートし、今年で 13回めを迎えた「六本木アートナイト」。六本木ヒルズや東京ミッドタウンはじめ、六本木の街なか各所に様々なアーティストの作品が展示され、夜の六本木を彩りました。参加アーティストの皆さん。 9月 27日六本木ヒルズアリーナで開かれたオープニングセレモニーには東京都副知事 潮田 勉さんや実行委員長 片岡真実さん(森美術館 館長)が登壇。議会中で出席できない清家あい港区長からは祝辞が寄せられました。注目のアーティスト 6組をフォーカスした「RAN Picks」と開催回ごとに海外の国に注目する「RAN Focus」が新設され、今年は台湾のアーティストが多数来日しました。アリーナに展示された巨大なオブジェはアトリエシスの《エフェメラルコレクション》。レンゾ・B・ラリヴィエールとザラ・パスフィールドが率いる、シドニーを拠点とするアートスタジオです。六本木ヒルズウエストウォーク 2階に展示された平山亮さん、平山匠さんによる《平山プロダクション》。兄平山亮さんの描く絵画を弟平山匠さんが立体化しています。亮さんは世界の平和を守る巨大ロボットやモンスターをテーマにした絵を日々創作し続けると共に、虎ノ門病院で配膳の仕事をされています。 藤村憲之 レーザー光線を操るジャン・ファンユー(張方禹)さんの作品《環》(上)は、雑居ビルの一室で展示されました。ジャンさんは VJ出身のアーティストで RANFocusの一人に選ばれています。六本木交差点アマンド前の時計台を利用した藤村憲之さんの《呼吸する時計塔》は、六本木で働く人々の呼吸のデータをとりそれに従って色が変わります。 ジェニファー・ウェン・マ 小寺創太 小寺創太さんの《フィラー》(右)は、六本木駅から人の掲げた看板に従って歩いていくと、国立新美術館内に敷かれたただの「人工芝」にたどり着くという作品です。看板持ちは美術館が準委任契約を結んだスタッフで、謝金を受け取る労働者として参加しています。ジェニファー・ウェン・マさんの《無題.インクのリズム》(上)は不織布をインクで染め上げた作品です。ひとけの少ない夜の国立新美術館は、普段とは違った顔を見せてくれました。 Event Information TOKYO -PARIS -NEW YORK巡回展 日常のなかの柿右衛門 NODAJapanの主催により、佐賀県有田を代表する窯元15代酒井田柿右衛門(柿右衛門窯)と AREAのインテリアアイテムをスタイリングした展覧会が、2024年 10月から2025年 6月にかけて東京・パリ・ニューヨークを巡回します。 東京、パリにつづき今春にはニューヨーク出店を果たし 今回の展覧会では 400年の歴史をつぐ 15代酒井田 た AREAにて、日本の絵付け磁器を代表するブランド 柿右衛門さんによる濁手の大花瓶をはじめ 20点ほどが 「柿右衛門」の世界巡回展が開催されます。 17世紀中 AREAの家具とスタイリングされ、日常における非日常の 頃、初代柿右衛門が焼成に成功した「赤絵磁器」は、 空間美を展開するそうです。 東インド会社によってヨーロッパへ輸出されドイツマイセ 《 巡回展開催予定 》 ンはじめ各窯で模倣品がつくられました。ヨーロッパの AREA Tokyo:東京都港区北青山 2-10-28 貴族たちを魅了したのは繊細な赤絵とその背景となる乳 2024年 10月 18日〜 12月 15日 白色の「濁手(にごしで)」にあります。その記憶は近代 AREA Paris: 4rue de l 'Universit. 75007 Paris まで忘れられることはなく、藤田嗣治の絵画がパリで評 2025 年 1月 16日〜 3月 15日 価されたのは「磁器のような女性の白い肌」を描いたこ AREA New York: 172Madison Ave, New York, NY 10016 とといわれます。 2025 年4月 18 日〜6 月 28 日 10月22日17:30から AREA Tokyoにて、出光美術館学芸部専門監八波浩一さんの特別講演会(参加費無料)がひらかれます。柿右衛門の歴史や世界から評価されるその魅力が解説されます。 ウォーターメロン・シスターズ西瓜姉妹 台湾で人気のウォーターメロン・シスターズが参加。ユ・チェンタさんとミン・ウォンさんが2017年に結成したデュオで、映像作品《ウォーターメロン・ラブ》の上映とヒルズアリーナ イグノポール 1階のインスタレーション。 での新作パフォーマンス《スイカ姉妹 六本木降臨!》が発表され多くのファンが集いました。 ユェン・グァンミン(袁廣鳴)さんは、ベネチア・ビエンナーレ台湾館で発表した映像作品《日常戦争》(上)を街なかのビル(ジオットハウス)に出展。一人暮らしの部屋が銃撃され、爆発し、炎にさらされる様子を淡々と描き戦争の始まりを予感させます。シン・チー(辛 綺)さんの《光るガジュマルの木の下で》(左)は、蛍光塗料を施したワイヤーや金属、ブラックライトなどを使い、複雑に絡み合うガジュマルの木の下のような集いの空間を、都市の暗闇に表現しています。東京ミッドタウンの ISETANSALONEでは、福井県の漆琳堂(漆器)、黒崎打刃物(包丁)、常山酒造(日本酒)の 3社を紹介した《< Don’ t youknow?>福井に世界が認めた 3人がいるのを知っていますか?》が開催され、新しい伝統をグローバルに伝える作り手たちが集いました。 杉 謙太郎福岡出身の花人杉謙太郎さんは《六本木の花》と名付けたパフォーマスを行いました。ヒルズカフェに集まった群衆の中で、土塊のような焼き物に、巨大なリュウゼツランが生けられます。 メイメージダンス 2010年、台湾の振付師ホ・シャオメイによって設立された現代舞踊団メイメージダンスが、《沈黙の島 .新たなる楽園.》(2017)を再構成し六本木ヒルズアリーナで上演しました。 台湾の明るさ、猥雑さ、伝統、コスプレ、アクションといった異なる感性が入り混じり、独特の世界を作り出します。事前に募集された100人の観客がステージに入り、パフォーマーの指示で移動したり、リンゴを投げてパフォーマーとやり取りしたり、観客も参加することでお祭りのような熱気が生まれます。 Event Information 第 33回フィレンツェ国際アンティークビエンナーレBIAF 2024に Minottiが参加 2024年 9月 28日.10月 6日 コルシーニ宮殿(フィレンツェ) イタリアの古都フィレンツェ。アルノ川に面したコルシーニ宮殿で、第 33回フィレンツェ国際アンティークビエンナーレ BIAFが開催されました。100近いギャラリーや団体が参加し古典絵画、現代美術、骨董品、アンティーク家具等を展示します。 今年はオフィシャルスポンサーとしてイタリアの家具メーカー Minottiが参加し、戴冠の間に 2024COLLECTIONを展開。芸術のパトロン フェルディナンド 2世・デ・メディチが 400年前に創造した空間へ、清々しい風を吹き込みました。ビエンナーレにあわせ宮殿に近いストロッツィ広場の Minotti Firenze byBelvedereでは、ギャラリーTornabuoniArteとコラボレーションした現代アートイベントがひらかれました。 ドラゴンシリーズ 120 ドラゴンへの道編吉田龍太郎( TIME & STYLE ) ノーベル平和賞 2024年月、ノルウェーのノーベル賞委員会はノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会に授与することを決めた。 戦後、日本原水爆被害者団体協議会が絶えず核兵器絶滅を訴え続けてきたことが世界中でクローズアップされ、今の緊迫した世界各地の情勢に警笛を鳴らす。しかし、日本は唯一の被爆国であるのに核兵器禁止条約に参加していない。なぜなのだろうかと子供達は思い考える。 世界で唯一の被爆国である日本が、核兵器禁止条約会議に出席していないとはどう言うことなのだろうか。子供達は学校で核兵器の破壊力とその恐ろしさ、放射能汚染による後遺症まで 10 2 様々なことを繰り返し教わってきた。毎年月になれば広島で平和記念式典が行われ、その席で日本の総理大臣は被爆者に追悼の言葉を送り、世界が二度と同じ過ちを犯さないことを願い、そして日本は世界平和を誓う。しかし、日本は核兵器禁止条約には参加しない。子供達はこの矛盾を間違っていると感じなが 8 ら、次第に社会の矛盾に慣れてゆく。 世界は矛盾で溢れかえっている。もちろん僕自身の中にも矛盾は存在している。僕も良いと思うことや、正義としてやらなければならないと思うことに素直に向き合えない大人の事情も時々ある。 選挙の投票に行かなきゃ政治に文句言う筋合いも資格も無いのだろうが、もう完全にその気が失せてしまってこれまで何度も投票を放棄したこともある。全くのポンコツで不完全な自分ではあるものの、真っ直ぐな正義は失いたくないと思っている。今でも世の中の間違っている不正義にはちゃんと向き合いたいと思っている。 最近、新しい首相が誕生した途端に衆議院が解散して総選挙が行われることになり、街中が選挙運動でザワザワと騒々しくなってきた。僕が小学年の頃から親父が地方自治体の首長をしていた。いつも選挙前になると学校の授業中にワゴントラックや軽トラックの荷台から親父の拡声器の大きな声が遠くから聞こえてくる。その度にクラスの視線が僕に向けられると、耳と目と心を閉じて思考停止した。それが嫌で僕はもっと遠い宇宙の果てに意識を向けて自己防衛した。 しかしその昔、日本では政治家が慕われ、尊敬された時代があった。政治家の親父が街中を歩けば誰もが礼をして挨拶をしてくれた。政治家の仕事は大変だったものの、親父は沢山の人々から慕われとても尊敬されていた。自分の親父が政治家で目立つことや行事で大きな声で挨拶することが恥ずかしく嫌でしょうがなかったが、どこか心の底でそんな親父を心から尊敬し、子供ながらとても誇らしく感じていた。 政治家は首相も代議士も地方自治体の首長も、どこの政治の仕事も本当に大変なのだ。なぜそんなにも大変な仕事をしたいのだろうかと疑問に思うし、なぜそんな仕事を志すのだろうかと子供の頃から今でも同じように考える。僕の実家はいつもお金が無くて小さな頃は外食などしたこともなかったし、何も新しいものを買ってもらえなかった。それもあって小学校低学年の時から朝刊の新聞配達をして自分でお小遣いを稼ぎ始めた。 実家はいつもお金が無くて、親父からはローズマリーと焼酎の匂いはしたけれど、お金の匂いが全くしなかった。だから僕には分かるのだが、政治にはお金が付き物と言われるものの、お金を稼ぐ目的に政治家を志す人間はいないのではなかろうか。政治家と言うのは直線的にお金に向き合えない仕事の典型であり、お金を稼ごうなんてあまりにもナンセンスだと言わざる得ない。老齢の政治家が言っていたがお金を目的にした政治家などいるはずがない、と僕も思う。そんな中で政治活動や選挙のために国が提供する政党助成金などを使わない使わせないと言う妙な潔癖主義も横行しているが、日本の政治を滞りなく行うためには、政治家にも十分な資金が必要なはずである。国民の代表である政治家には、そのために不自由させないだけの給与や活動資金も必要ではあるまいか。 街頭で選挙演説をする候補者を見かけると、なぜか父の姿が重なって見えた。けれど、今の時代はまったく違う。かつては尊敬の対象であった政治家に、今では誰も関心を寄せず興味さえ抱かない。政治や社会に対する不満だけが広がり、ほとんどの人が自分の利益だけにしか目を向けず、無関心を決め込んで関わりを避けている。これが、今の日本の姿だ。 そんな日常の中で人々は社会や政治に不信感を抱き、子供たちは街頭演説を迷惑な騒音とみなして遠ざける。このような心と人間関係が荒廃した矛盾だらけの日本の子供たちに、果たして美しい未来はあるのだろうか、と考えずにはいられない。 日本にも、世界にも、多くの矛盾が潜んでいる。世界は「正義」という名のもとに「抑止力」という自己防衛理論を掲げ、大国は核兵器を増産し続け、その傘の下で被爆国である日本は守られていると言われている。アメリカでは「自己防衛」のために銃が普及し、無実の人々の自由と平和が脅かされている。世の中は矛盾だらけだ。もしかすると人間の存在そのものが、自然界における最大の矛盾なのかもしれない。 Event Information 飛騨の木工文化から見る日本の景色展 &手織り由布衣工房〜飛騨 15年河合由美子 染織展 京王プラザホテル(東京・新宿)3階ロビーにて10月31日まで、飛騨の匠の技を紹介した「飛騨の木工文化から見る日本の景色展」が開催中です。ロビーには飛騨の木彫、漆塗、錺金具など伝統技術を凝縮した高山祭の屋台模型を展示。海外からのゲストが屋台をバックに記念撮影していました。 飛騨春慶塗の重箱やテーブルウェア、 一位一刀彫の達磨(津田彫刻)、飛騨一概衆の獅子頭香合(小坂礼之)など木の作品が展示されるなか、シルクを一位(イチイ)の木で染めた河合由美子さんの作品が注目されていました。 3階ロビーギャラリーでは10月11日〜17日まで「河合由美子染織展」が開催されました。河合由美子さんは1979年女子美術大学芸術学部工芸科を首席で卒業後、一時は織物の世界を離れていましたが 1998年に再開。2009年には故郷の飛騨市古川町に、手織り由布衣(ゆう)工房を開き15年がたちました。 今回のテーマ「くずし」は、昨今の混沌とした世情の中でも美しいものを欲する、創る心は変わらないことを表現したそうです。くずし織りは農村の女性たちが工夫を重ね、裏・表なく使えるよう、表のタテ縞が裏のヨコ縞になるという不思議な柄です。 紫根で染められた掛け軸。書は民藝家 外村吉之介氏。 めています。それぞれの植物に暮らしに欠かせない役割があり、それを身につけることで心静まる、やわらかな効能が伝わってくるようです。 【 Webマガジン コラージは、オフィシャルサポーターの提供でお届けしています 】 At the end of their lives, they reach something deeper, indeed. Perhaps it is infinite compassion for themselves and others. The souls of ordinary, nameless people die as the most tender things in the world. Copyrigt . 2024 Shiong All rights reserved 無断転載・複写を禁じます