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時空を超える美意識 琥珀色の冬 https://collaj.jp/春告魚 2026 ラトビア 今回、ラトビアへの旅に利用した LOTポーランド航空は、ポーランドのフラッグ・キャリアとして100年近い歴史があり、成田就航 10周年を迎えました。成田からワルシャワへの便は、夜 11時台発で、ワルシャワ空港で乗り換えラトビアへは13時過ぎに到着。帰りは18時台のラトビア発の便に乗り、ワルシャワ空港で乗り換え19時台に成田到着と時間を有効利用できます。ワルシャワ・ショパン空港にはポロネーズ(シェンゲンエリア)、マズレク(非シェンゲンエリア)といったビジネスラウンジがあり、飲み物や温かい食べ物が提供され、乗り換えまでの時間を快適に過ごせます。空港のレイアウトが直線的で規模が大き過ぎず、乗り換えも分かりやすかったです。バルト三国をはじめ、北欧、ドイツ、フランス、英国、イタリア、スペインなど1時間半から2時間半で結んでいます。 バルト 冬の海 ワルシャワ・ショパン空港を飛び立った飛行機は、バルト海を越えてラトビアの首都リーガ国際空港へ。 Riga Cathedral (リーガ大聖堂) 1211年アルバート司教により初めて礎石が置かれて以来、様々な時代をへて大聖堂は築かれました。夕方からのパイプオルガンコンサートには、世界各地から多くの人が集います。 世界最大級のパイプオルガンは、1883年、ドイツのオルガン製作会社エーバーハルト・フリードリヒ・ワルカー社によって製造されました。同社のシンフォニック(交響)オルガンは、オーケストラの各パート(弦楽器、木管楽器、金管楽器、コーラス)の音色を出せるため「一人で操れるオーケストラ」といわれ、今も映画やゲーム音楽の音源として、重厚な雰囲気を演出するのに役立っています。この大聖堂のシンフォニックオルガンは、音色(ストップ)の数が124もあり、高さ25m、幅11m、6718本ものパイプを備えています。半数は木材(松、カエデ、オークなど)、残りは鉛と錫の合金製で、最長は約 6m、最短はわずか13mmです。この日はオルガニスト、イルゼ・レイネさんによりメンデルスゾーンの Allegro maestoso、バッハの Prelude and Fugue、Ave Maria、ヘンデルの Hornpipeなどが奏でられました。 パイプオルガンが作られた19世紀後半。ロシアの支配下にあったラトビアは、ヨーロッパとの貿易拠点となり繁栄しました。バルト・ドイツ人が多かったリーガにもラトビア人が進出し、鉄道が敷かれロシア内陸からの資源(木材、ライ麦、毛皮など)をヨーロッパへ輸出する工場も建ち、ラトビア人の民族意識が高まりを見せていきます。 夜と朝が重なりあう空に白い息が向かっていく 新しい今日と走り出そう Vol.79 原作:タカハシヨウイチ はら すみれ絵 : タカハシヨウイチ Sv.t. P.tera eva...liski luterisk. bazn.ca (聖ペテロ福音ルーテル教会) 聖ペテロ福音ルーテル教会は、リーガを一望できる展望台(尖塔)のある教会として知られ、著名なピアニストによるコンサートや展覧会場としても活用されています。天井の高いレンガ造の聖堂に、美しいピアノの音色が響き渡りました。 おまかせ季節料理のコースを頂きました。 M.SAはリーガで最も前衛的な「3 Pav .ru restor.ns」(3人シェフのレストラン)の姉妹店として企画されました。グローバルな実験的料理で知られた3 Pav .ru restor.nsに比べ、M .SAはラトビアの旬の食材(森、湖、海の恵み)を北欧的なミニマリズムと融合させたエレガントな雰囲気をもっています。バーカウンターでは前菜にあわせ、果実、ハーブ、スパイスを使ったシグ ネチャーカクテルを作ってくれました。 〈冬のトピナンブール(菊芋)のサラダ〉。菊芋のシャキシャキした食感とゴボウのような風味に、タルトゥファータ(トリュフソース)の贅沢な香りが良く合います。ハーブやシメジも入ったヘルシーな一皿。シメジはヨーロッパでも「Shimeji」と呼ばれます。〈オーガニック鶏レバーのパテ〉は、サワーチェリーの酸味とヘーゼルナッツの香ばしさがアクセント。鶏レバーとは思えない色彩やモダンなデザインがユニークです。パンはグルテンフリーのブリオッシュでした。 〈バルト海産スプラット(小魚)〉はオリーブオイル漬けにも見えますが、レモンソースやケッパー、小ネギなどのさっぱりした味付け。レモンやポンズを和食のように巧みに使っています。 〈牛肉のタルタル〉は牛のイチボ肉を手切りし、ハリッサ(唐辛子ソース)やベアルネーズソース(マヨネーズ系ソース)と合わせた一品。柔らかな味付けで、脂味や辛味を感じさせません。 〈新鮮なマスのベリーポンズ和え〉のソースは、ラー油のような色に見えますが、ベリーを使ったポンズにシトラスやバージンオリーブオイルを加えています。「だまし絵」的な見た目と実際の味のギャップも楽しめました。トップシェフたちのプロデュースによる料理のクオリティはリーガでも最高ランク。フロアからもオープンキッチンで調理するシェフたちの動きが見られます。 〈パイクパーチ(スズキに似た淡水魚)のソテー〉は、グリーンが鮮やかなパセリソースと、ズッキーニのピクルスで頂きます。淡水魚はラトビアの清浄な養魚場で育てたもの。ラトビアはチョウザメの生産地としても知られ、キャビアのブランド「MOTTRA」は、チョウザメを殺さずに採卵するアニマルウェルフェアな姿勢が世界に評価されています。 〈ラトビア産牛ほほ肉〉は、時間をかけて煮込んだほほ肉をトウモロコシのポレンタに載せ、コクのあるペコリーノ・ロマーノ(羊のチーズ)をかけた贅沢な一品。 〈M.saラザニェッテウサギ肉〉は、ウサギとラザニェッテ(幅広パスタ)をマッシュルームクリームであえ、ほうれん草やパセリを散らした一品。ウサギ肉は鶏肉に似た淡白な食感ですが、噛み締めるとかすかな野性味を感じます。果てしない麦畑と草原の広がるラトビアの大地に、ウサギが跳ねる情景を思い浮かばせる一皿でした。 デザートの〈M .sa特製パブロバ〉はニュージーランド発祥の菓子で、サクッとしたメレンゲの中にライム抹茶クリームが入っています。一説にはロシアの伝説的バレリーナ アンナ・パブロワをもてなすため、ホテルで出されたデザートとのこと。〈蕎麦蜂蜜のケーキ〉は、蕎麦粉のケーキに甘いバニラサワークリームとキャラメルソースをかけています。〈チョコレートムース〉は、ヘーゼルナッツのプラリネとエクストラバージンオリーブオイルを添えたもの。 心・体・思考の健康をデザインする とっておきの休み時間47時間目楽しむ2月♪ 2026年 2月は「3」の月。「3」はポジティブで前向き、軽やかなエネルギーを表します。 年越しからすでに数週間が過ぎ、2026という数字に馴染んできた頃ですが、ヨガ数秘学では 2月初め頃から本格的にその年のエネルギーが始まります。 2026年はスタートの年。その2月が 「3」のエネルギーとすれば、「まずは楽しんでやってみる」につきます。公私ともに、仕事も家事も雑務も「楽しむ」のがポイントです。また、「軽やかに過ごす」という意識が大切で、物事をあまり深刻化しないように気を付けたいところ。2月は、軽快に、フットワーク軽くやってみましょう。 一方で、「3」が暴走すると、楽観的過ぎて計画性を欠く、という手に負えない出来事もゼロではありません。何事も「すぎる」にはご注意を。 明るい面に目を向けて、少々しんどい事は、「どうしたら楽しむことが出来るのか?」の視点を 意識してやってみるのがおすすめ。遊び心や創造性をめいっぱいオープンにして、子どものよ うに自由なマインドを取り戻し、過ごしてまいりましょう。 写真&文 大吉朋子 高2の出会い。 織田コレクション ハンス・ウェグナー展(ヒカリエホール)にて 1月18日まで渋谷ヒカリエ(ヒカリエホール)で開催されていた「織田コレクション ハンス・ウェグナー展」。早々に前売り券を購入しながらも、会期後半、ようやく見に行った。 家具や建築の世界では知らない人はいないであろう名匠・デザイナー、ウェグナーさん。私は高校2年生の終わり、今から 30年以上前になるけれど、初めて「椅子のデザイン」という世界を知り、そのきっかけとなったのが、「ザ・チェア」だった。Vitra社のコレクション展をやっていたような記憶があるけれど、その展覧会で「ザ・チェア」の正面写真を見た時、大きなショックを受けた。 私の高校は美術系学校で、絵画とデザインの授業が多かった。絵画の時間は毎回楽しみにしていたものの、デザインの授業は毎回本当に気が重かった。絵なら思うように描けるのに、デザインの課題はイメージ通りに仕上がらない。上手く出来ないと気分も上がらず、デザインへの苦手意識が強まるばかりだった。高校 3年生になると、絵画コースかデザインコースを選択しなければならず、私は絵の点数が良かったのもあるけれど、自分はずっと絵を描いていく人だと思っていたし、周りからの声も同様で、そうしなければいけないような気にもなって、迷うことなく絵画コースを志願し、その予定だった。 そこに「ザ・チェア」との出会いである。デザインとか、椅子のデザインとか、そんな世界を少しも想像したことがなかった私に、「ザ・チェア」は新しい世界の扉のようだった。『椅子をデザインする世界があるんだ。将来、私はこんな世界の仕事がしてみたい』と、油絵ばかりを喜んでいた私の頭の中がガラリと転換された。 その出会いからの数日間、頭の中は「どうしたら椅子の世界に近づけるのか?」ということばかり考えていた。そして、考えた末、自宅から担任の先生宅へ、「絵画専攻からデザイン専攻へ変更したい」と電話で伝えた。案の上、受話器の向こうの先生は「えー!!」と、電話口でものけぞっているのではないかという雰囲気が伝わってきた。 Jugendstila Muzejs (ユーゲントシュティール博物館) 世界有数のアール・ヌーヴォー建築都市、ラトビアの首都リーガ。特にアルベルタ通り周辺には、19世紀末から20世紀初頭、裕福な実業家たちにより建てられたアパルトメント形式のアール・ヌーヴォー建築が集中しています。その一棟、コンスタンティン・ペクシェンス設計の建物が、ユーゲントシュティール博物館として公開されています。 ユーゲントシュティール(青春様式)とは、ドイツ語圏でアール・ヌーヴォーを意味します。19世紀末、リーガの若い建築家は、ドイツやオーストリアへ留学しヨーロッパの先端的な建築様式を学びました。それはロシアのアール・ヌーヴォー(モデールン)にも影響を与えます。ペクシェンスはラトビアを代表する建築家のひとりで、リーガだけでも250棟以上を設計。市街地の急速な拡大に応え、様々なレンガ造アパルトメント、銀行建築、木造住宅を設計しています。 このアパルトメントはペクシェンス自らがオーナーとなり、弟子のエイジェンス・ラウベとの共同設計により1903年に完成。2階にはペクシェンスが暮らし、芸術家や作家にスタジオを提供して芸術家コロニーのような場所となります。ペクシェンスはセントラルヒーティング会社を経営する実業家としても成功し、ラトビア語の新聞、雑誌の発行にも関わりました。またリーガ市議会議員をつとめ、都市計画や下水道整備などインフラの近代化にも貢献しています。19世紀末はラトビアの民族意識が高まった時期でもあり、後期には伝統的モチーフを取り入れた民族主義的なデザインが見られます。キッチンルームは主に、ハウスメイドが調理することを前提にしています。調理用の薪ストーブや水道蛇口付きのホーロー製シンク、氷式冷蔵庫など当時最新の機器を備え、メイドはほぼ一日中、キッチンに籠もり家事をこなしました。ストーブの背面には本物のタイルが使われていますが、その他は壁に描かれたフェイクです。 ▲ 調理用の薪ストーブは、厚い鉄板で鍋を加熱します。 ▼セントラルヒーティングのラジエーター。 キッチンに隣接したメイド部屋。狭い部屋にベッド、洋服ダン ス、ミシンも置かれ、勝手口から直接外へ出られました。 保存食をしまうパントリーも備えています。 ダイニングルームに比べ、暖炉は主人と客たちがカジュアルに楽しむ場でした。装飾画はリーガに自生する栗の葉をモチーフに使い、暖炉のタイルにも同じ柄が見られます。 豪華に装飾されたダイニングルーム。天井には静物画が描かれ、ステンドグラスの窓がある部屋です。ステンドグラスは旧ソ連時代にカトリック教会の指導者としてラトビア初の枢機卿に任じられた、ユリアン・ヴァイヴォッズ枢機卿の持ち物でした。天井の装飾画や松材の梁、壁のトウヒ材パネルなどはすべて建設当時の記録を元に復原されています。食器棚などの家具や食器、カトラリーも20世紀はじめにリーガで作られたものです。 ホーロー製の白い浴槽を置いたバスルームは、新時代の象徴でした。床のタイルはVilleroy & Boch社製です。 プライベートなベッドルームは、主人夫妻にとって唯一やすらぎの場所でした。壁は赤茶色のツートンカラーで、バラのステンシル画が配置されています。バラはリーガで人気の柄であり、ラトビア民謡「ダイナス」にも頻繁に登場します。庭の柵の向こう側で/キラキラと輝いているのはだれ?/それは太陽(サウレ)様が/金の鉢にバラを植えているのです。ラトビア民謡「ダイナス」よりバラの歌 宿泊した Grand Poet Hotel and SPA by Semarah (グランド ポエット ホテル バイ セマラ)は、歴史建築を現代的にリノベーションしたリーガを代表する五つ星ホテル。自由記念碑の立つバステイカルンス公園に隣接し「グランドポエット」という名はラトビアの天才詩人ライニス(Rainis)に由来します。 Time & Style Midtown (東京 六本木)にて2025年12月25日、恒例のクリスマスジャズライブがひらかれました。ケイ赤城さん(ピアノ)、若井俊也さん(ベース)、吉良 創太さん(ドラム)による KEI AKAGI TRIOの登場です。冒頭でケイ赤城さんから、ニューアルバムの告知がありました。3週間前にこのメンバー3人で初めてレコーディングを行い、17曲を3日間で収録。今年の6月を目処に、タイムアンドスタイルジャズレーベルから2枚のアルバムとなって発表される予定です。 First set 1. Quiet Silk 2. Midnight Sidewalk 3. Silent Circles 4. Scramble City Second set 1. The Two Stanleys 2. Three Rooms 3. Backfloating 4. Shikakugai Katsudou 1曲目でアルバムに収録予定のQu iet Silkが演奏され、3人の自信に満ち溢れたプレイにより、会場は一気に盛り上がります。ますます自由度と厚みを増したケイ赤城さんのピアノに、ベースとドラムのサウンドがぶつかりあい、ひかれあい、研鑽を重ねるトップアーティストならではのスピード感あふれるやりとりを、心ゆくまで楽しむ聖誕祭となりました。 光の城 (ラトビア国立図書館) ダウガヴァ川左岸に建つラトビア国立図書館は、光の城と呼ばれています。 硝子の山を思わせる建物は、ラトビアからアメリカに移住した建築家グンナー・ビルケルツの設計。13階建て高さ約68メートル、2014年に完成しました。ダウガヴァ川の氾濫に備え、書籍は6m以上の場所に保管されています。 図書館前に置かれたアイガルス・ビクシェ作の彫刻「二人のライニス」。ラトビアを代表する詩人・劇作家ライニス・プリエクシャンスは小作農の家に生まれ、サンクトペテルブルク州立大学で法律を学びながら詩作や翻訳に励みます。卒業後はラトビア語新聞『DienasLapa』の編集長をつとめますが、1897年に逮捕されロシアのキーロフに送られました。この時代にライニスが翻訳したゲーテ、シェイクスピア、ハイネ、プーシキンなどの作品は、ラトビア語復興の機運を高めます。1905年のラトビア革命に失敗すると、ライニスは夫人と共にスイスへ亡命し、詩や戯曲を書くことで祖国を励まし続けます。1920年ラトビアに戻ったライニスは英雄的な歓迎を受け、以降は政界で活躍しました。「二人のライニス」は多面的な人物であったライニスに、内省と行動、記憶と未来、沈黙と発話といった図書館の役割を重ねたものだそうです。 設計のモチーフとなったのが、ライニスによる戯曲『黄金の馬』(1909年)でした。呪いによって眠り続ける太陽の姫を救い出すためには、誰も乗りこなせない「黄金の馬」を操り、硝子の山を越える必要があります。王子をはじめ沢山の勇者が挑戦し、いずれも失敗に終わるなか、普段は愚か者と見下されている末の弟が数々の試練に打ち勝ち、ついに硝子の山を越え、姫を目覚めさせることが出来ました。当時ラトビアはロシア帝国支配下にあり、眠れる姫はラトビア民族を象徴し、歴史を動かすのは英雄や支配者ではなく、名もなき民衆であるというライニスの思想を表現する物語だといわれます。 図書館からは、対岸の旧市街を望むことができます。 ▲2025年100歳を迎えた反体制活動家、独立のアイコンとなったリディヤ・ドロニナ=ラスマネの生誕100年展。 ▼ 詩人ライニスの名を冠したオーガニックカフェ。 アトリウム右側のクローゼットとロッカーにコートや荷物を預け、奥のレセプションへ向かいます。 レセプションで入館証を受け取りました。旅行者も簡単な手続きで入館できます。アトリウムの頂点から自然光が降り注ぎ、白木の床に反射し各階を明るく照らします。各階ごとのテーマカラーは、ラトビアの旧紙幣ラッツからとられました。400万点以上の書籍、雑誌、地図、楽譜、映像などを閲覧でき、ラトビアで出版する書物の全てが納本されています。 アトリウムにそびえる巨大書架「人々の本棚」。新しい国立図書館が完成すると、15000人もの市民が旧図書館から2kmにおよぶ列をつくり、手渡しで本を運んだそうです。それはバルト三国の独立時に人々がつながった「人間の鎖」を彷彿とさせる出来事で、世界中に報道されます。運ばれた図書や寄贈された貴重な図書8000冊がこの本棚に収蔵されました。 閲覧室の書架やテーブル、カウンターは白木調でまとめられ、フロアの随所に置かれたソファでくつろげます。知識を得るとともに、精神を整える場であることも重視されています。 旧ソ連時代にはラトビア語の本の出版・入手は禁じられていましたが、1980年代になるとラトビア語復権運動の高まりを受けて、1989年ラトビア語を唯一の国家語とする法律を採択。1991年の独立を後押しします。現在は年に2000点前後の新刊が刊行され、図書館はラトビア国民のアイデンティティを示すシンボルとなりました。その一方、国民の3割がロシア語を日常語としており、書架にはラトビア語、ロシア語の本が両方並んでいます。 館内には「バルト東アジア研究センター図書館」があります。日本、中国、台湾、韓国など東アジア地域の文化・言語を研究する施設で、専門官のオレグス・ビシュチコフスさんによるとリーガには日本語を学ぶ方が多く、日本語会話クラブもひらかれているそうです。書架には日本の歴史、古典文学、純文学、マンガなどの本が並んでいました。折り鶴や水墨画教室のワークショップなども開催され、2月6日には24回目となる日本語弁論大会がラトビア大学で行われます。 12階の展望室からはリーガの街を一望できます。ロシアのウクライナ侵攻後、ラトビアは3万人以上の避難民を受け入れ、その対応にも図書館が活用されています。ウクライナ語の書籍コーナーや無料Wi -Fi、住宅、医療、交通などの情報提供をいち早く行い、困りごとの相談相手となる図書館員を配置するなど、心やすまる場として機能しました。 図書館の必見ポイントが、ユネスコの世界記憶遺産ともなった「ダイナスの棚」です。ダイナスはラトビアに古くから伝わる4行詩で、民俗学者クリシュヤーニス・バロンによって蒐集・分類されました。棚はジャンル別に分類され、4行詩を手書きしたカードが約35万枚も収納されています。バロンは全国の協力者から寄せられたダイナスを人間のライフサイクル(誕生、洗礼、結婚、労働、老い、死)にもとづいて体系化し、ラトビア古来の世界観、倫理観、生活様式を明確にしました。館内では様々な展覧会が無料で公開されています。「 Freedom Begins With a Book(自由は本から始まる)」は、ラトビア語の本の出版500周年を記念した展覧会。印刷はまず聖書の言葉から始まり、農耕の知識や教訓を載せた農民暦(カレンダー)、食事マナー、調理法、病気治療などを伝える実用的な手段へと広がります。1822年にはラトビア語による初めての新聞が創刊し『ペーテルブルグス・アヴィーゼス新聞』にはクリシュヤーニス・バロンはじめ、新ラトビア人運動の活動家が記者として働きました。書物や新聞が読み書きを普及させ、国民としての自覚を喚起していく過程を紹介しています。 いま世間を騒がしている「浜岡原子力発電所」のデータ不正問題。原発の再稼働は白紙に戻され、予定していた運転再開は難しくなりました。 コラージでは東日本大震災後の2011年 5月、浜岡原発の「原子力館」を取材させていただき、当時の館長占野政善さんから原発の安全性について詳しい解説を受けました。当時、浜岡原発の 4、5号機は運転を停止したばかりで、それ以来 15年近く稼働されていません。 今回問題となったのは、地震動の数値に虚偽があった点です。原発建屋の耐震性といえば、民間に比べ数倍は厳しい基準にもとづいていると思われがちですが、実は最新の建築物より劣っているのが現状です。 虚偽と疑われた浜岡原発 1〜 4号機の敷地では、基準地震動を1200ガルと予測し原子力安全委員会に報告しています。一方、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震など、巨大地震が起こるたび建築基準法などの耐震基準は引き上げられ、ゼネコンやハウスメーカーはそれを上回る耐震性を確保するため、現在は全国どこでも 2000〜 5000ガルの地震動に耐えうる設計を行っているそうです。つまり建設業界では、想定外の地震が日本列島のどこでも起こり得ると考えられているのです。 中部電力が原子力規制委員会に提出した資料を見ると、1〜4号機周辺の ▼ 様々な断層に囲まれ、科学者からも危険性が指摘されています。 基準地震動が最大 1200ガルなのに対して、隣接する5号機周辺は最大 2094ガルと1.7倍になっています。これは5号機が 2009年 8月の「駿河湾地震」におてい想定以上の揺れが発生し、設備の一部に被害がでたためです。調査の結果、岩盤のレンズ効果により 5号機周辺だけ振動が増幅したと結論づけられました。科学的調査とはいえ、隣接する場所の地震動にこれだけの差があるのは解せないことです。原子力規制委員会が「概ね妥当」と判断したのは、このデータです。 また津波を防ぐための防潮堤については、当初高さ18mで建設をはじめましたが、津波想定の見直しにともない高さ22mに嵩上げされ、2016年、延長 2.4kmにも及ぶ巨大防潮堤が完成したのです。その後、南海トラフ巨大地震により25mの津波が来る可能性を指摘されたのを機に、2024年、中部電力は防潮堤の高さを 28mに嵩上げすると発表。つまり原子力規制委員会が「概ね妥当」としたのは、2000ガル(震度 7相当)以上の地震動や 25m以上の津波が予測される場所に建つ原発の再稼働だった訳です。実は規制委員会とは名ばかりで、電力会社の勝手な想定にお墨付きを与える組織であることが露呈されたのではないでしょうか。 南海トラフ巨大地震が発生し、万一、福島第一原発のような事故が浜岡原発で起これば、東名高速、東海道新幹線など東西日本を結ぶ交通の大動脈を分断しかねません。福島の原発事故が救援活動や復興の足枷となり、静岡の茶畑にまで放射性物質を降らせたのは記憶に新しいところであり、原発災害の種はできるだけ摘んで欲しいです。 クリスマスマーケットの楽しみのひとつは、ホットドリンクを提供する屋台です。デポジット式のカップを片手に屋台を回るうちに体は温まりほろ酔い気分に・・・。人気はリーガ名物の薬草酒ブラックバルサムで、スーパーフードとして研究されているシーバックソーン(スナジグミ)とのカクテルはビタミン類、アスパラギン酸、果実油が豊富に含まれています。 聖ヤコブ教会の向かいに建つのはラトビア共和国議会です。ラトビア国会(サエイマ)の定員は100名で一院制。大統領は国会議員の投票により選ばれます。豚は農家にとって富の象徴であり、クリスマスや収穫祭に豚の頭や肉を食べるのが伝統でした。灰色エンドウ豆に炒めたベーコンと玉ねぎを添えた「ペレキエ・ズィルニ・アル・スペキ」もクリスマス定番の国民食。これを食べきると「翌年に涙を流さずに済む」と言い伝えられています。赤いマント姿は修道士の仮装です。 マザ・ピルス通りに建つ3軒の建物は「三人兄弟」と呼ばれ、200年にわたる建築様式の変遷を見ることができます。右端は15世紀の建築で、窓の小さい石造りの頑強な建物は城塞都市の防御性を重視。当時は窓の大きさで税金が変わりました。真ん中は16世紀、初期ルネサンス風の装飾が加わった優美な雰囲気で、窓が大きくなり玄関にはギリシャ神殿のようなデザインも見られます。左端の17世紀に入ると都市の過密化から間口が狭くなり、バロック様式のシンプルな姿へと変化しました。「バルト海の金」と呼ばれる琥珀のアクセサリーは、ラトビアを代表する手工芸品。海岸に打ち上げられる琥珀は太陽のかけらと信じられ、古くは「琥珀の道」を通って遠くローマ帝国まで運ばれていました。また、様々な願いを込めて伝統文様を編み上げた毛糸のミトンも、ラトビアならではの温かな逸品です。 編みカゴや木製スプーン、カッティングボード、蜜蝋のキャンドルなど、ラトビア各地のクラフトがマーケットに集まりまラトビア風ジンジャーブレッドは「ピパルクーカス」と呼ばれ、スパイシーで薄く硬いのが特徴。シナモン、クローブ、ショウガ、カルダモン、コリアンダー、ナツメグに、細かく砕いた黒胡椒(ピパリ)を加えます。 リーガ市庁舎前の広場には、クリスマスツリー発祥の記念碑があります。1510年、この広場に商人のギルド(ブラックヘッド)がモミの木を立てて装飾し祝ったのが、世界で最初の公的なクリスマスツリーであるというのがラトビアの主張です。その後ヨーロッパ各地の家庭へ、クリスマスツリーの習慣が広がっていきました。 バルト海に面した国ラトビア。その首都リーガは、古くから天 然の良港として、遠方からの多様な物資と人々が行き来するバルト海でも抜きん出た国際交易港として機能し続けてきました。 その歴史を振り返れば、対岸の隣国スウェーデンからのヴァイキング襲来、中世ハンザ同盟都市として海洋商人のネットワークを通じて生まれた北ドイツとの濃密な交易関係、西部国境を接するポーランドとの宗教的なつながり、そして同じく国境を接する大国ロシアとの重層的で複雑な関係。こうした多様な経路で様々な食材や食習慣がリーガに持ち込まれた結果、これが地元のバルト・ラトビア人古来の伝統と融合する形で、実に興味深い食文化が誕生しています。その道筋がどのようなものであったか。ラトビア人にとってなじみの深い料理を例に、食文化史の視点から読み解いてみましょう。 「干鱈とジャガイモのミルク煮」 (ひだら)とは何? を迎えるハンザ交易を通じてリーガにもたらされた干鱈の大半は、ノルウェーのロフォーテン諸島周辺で獲れたタラを加工したものです。まず、獲れたタラは水揚げ後港で即座に頭を切り落としエラと内臓を処理し、尾の部分を残して身を大きく開きます。皮は残したままです。こうして下処理したタラは塩蔵処理せずに、2尾を尾の付け根で結んで、海岸に作られた棚に掛けて乾燥させます。あとは雪が降っても気にせず、そのまま約3カ月間外で乾燥させる。遅くとも5月までには、これを外の乾燥棚から下ろして屋内に移し、6月頃まで熟成させる。この間にタラの身は飴 このお料理の中心素材である干鱈 世紀後半から 15 世紀半ばに最盛期 色に変色し、身の水分含有率 %程度になる。こうして出来上が った「干鱈」は、日本の「棒鱈」(ぼうだら)同様にコチコチに硬い大きな魚の干物として出荷されます。保管状態が良ければ数年持つとも言われ、ニシンと並んで欠かすことができない、年間百日を超えるキリスト教の「断食日」の主要なおかずとなっていました。 ロフォーテン島の干鱈は、ハンザ同盟(北ドイツ諸都市の交易連合)の拠点港のひとつベルゲン港(ノルウェイ)に集められ、ベルゲンから海を渡って対岸にある北ドイツのリューベック港 へ。ハンブルクの北東約 に位置するリューベックはハンザ同 盟の盟主であり、中世ハンザ交易の最も重要な港です。ロフォーテン島の干鱈は、リューベックからリーガへと運ばれていきまし ① 14 20 60 km た。リーガでこれを仕入れたのは北ドイツから移住していたドイツ人の卸売業者 13 です。彼らは干鱈に限らず、ハンザ交易で運ばれてくる様々な物資の交易を独占していました。干鱈の多くはリーガからさらにロシアの交易都市ノブゴルドへも運ばれていきました。 19 17 ハンザ加盟都市は、その最盛期には 18 0都市を超えるに至ったと言われています。その大半の都市で交易を仕切ったのは、北ドイツから移住したドイツ人商人でした。彼らは母国都市リューベックの法に基づいて商売を行い、移住先の諸都市でも地元民とは隔絶した形の北ドイツ人コミュニティーを築き上げていきます。商売の権利を守るために厳格なギルド(同業者組合)による支配を徹底し、 世紀半ばから世紀半ばまでの約 4 0 0年間という長きに渡って、北ドイツからバルト海にかけての交易を独占し続けました。リーガ在住の北ドイツ系商人たちは、このハンザ交易の独占によって莫大な富を蓄積し、多くの大商人が誕生していきます。その一部は貿易という本業に加えて金融業も営みはじめることで、リーガ周辺の農漁村への支配を強めます。その結果、貴族(その多くはドイツ騎士団の末裔)に匹敵する経済力と社会的な力を得るに至ります。リーガを中心とするラトビアの経済的繁栄の基礎は、中世ハンザ交易によって築き上げられたものです。要するに「ハンザ同盟=都市同盟=ドイツ商人帝国」の 19一角にリーガの港は位置していた、ということになります。 ②次に、このお料理の第二の主役であるジャガイモについて。 ジャガイモは元々、南米が原産地であり、コロンブス以前は、それ以外の世界では全く知られていなかった食用植物です。欧州にはコロンブス以後、早い時期にジャガイモはもたらされますが、農民がこれを受け入れて栽培し、日常的に食べるようになるまでには、かなりの時間がかかっています。ラトビアで農民たちがこれを受け入れて栽培し、日常のものとして食べ始めるのは、 1820〜 1840年代のことです。このお料理は、それ以降徐々に広まり始めた料理であるということになります。決して大昔からこの地の家庭料理であったわけではない、ということです。 ③このお料理の3番目に大切な素材であるミルクについて。 リーガがドイツ大商人の支配下にある一方、それ以外のラトビアの地域は、 1720年頃から段階的に帝政ロシアの支配下に置かれることとなり、 1795年頃にはほぼ全土が帝政ロシアに併合されます。 1918年のロシア革命まで、その支配は続きます。ラトビアの酪農は、牛乳の遠心分離機の普及もあって、ロシア支配下の世紀中頃から急速に発展し始めます。このおかげで世紀後半以降になると、酪農地帯でなくともミルクが容易に入手できるようになっていきます。 ④結論。このお料理の主要な3つの材料の歴史を読み解いてみた結果、現在ラトビアを代表する家庭料理である「干鱈とジャガイモのミルク煮」は、日本の明治維新の少し前頃からラトビアの家庭に広まり始めた料理らしいということがわかります。なお、「この料理をどうやってミルクで煮たのか」という点について、重要なポイントがあるので、次号で改めてご紹介します。 「灰色豆とベーコンの合わせ煮」 ①この料理の主要素材である「灰色豆」とは何? これはラトビアの冬の味覚を代表する料理のひとつです。「灰色豆」とは、日本のエンドウ豆に近い品種の豆です。日本では、まだ熟していないエンドウ豆を若いうちに摘み取って、これを俗に「キヌサヤ」などと呼んで、さっと湯がいてみそ汁の具などにして食べます。あのキヌサヤを青いうちに摘み取らず、そのまま育てていくとどうなるか。さやの中の豆は「丸々としたグリーンピース状の豆」となり、外側の「さや」と枝の部分は薄茶色の干からびた枝枯れ状態へと至りま 40 す。ここで豆を取り出してさらに乾燥させる。すると保存性の高い乾燥豆になる。ラトビア特産の「灰色豆」もまた、古来こうして乾燥豆にして保存され使われてきました。「灰色豆」という呼称には、きちんとした定義が定められています。エンドウ 11 豆の親戚系統の豆で、英語名で ”Latvian large grey ”種のうち、特に「レトリヤ」(Retrija)という粒 peas の大きめの品種を指します。ラトビアの農産物として初めて E Uの P D O(原産地呼称保護)リストに登録され、ラトビア産以外には、この名称を使うことが禁じられています。故にこの豆はラトビア国民の誇りです。ラトビアの農村では古くから乾燥豆を冬季の保存食料として大切に食べてきました。「灰色豆」は、こうしたラトビア農民の伝統の結晶です。 ②この料理の2番目に大切な素材「ベーコン」について。 古来ラトビアの農民は、欧州の他の地域同様、豚を大切に育ててきました。毎年秋に森で太らせた豚を月初旬に処理し、その肉は越冬のための大切なタンパク源として塩蔵し燻製にすることで、ハムやベーコンやソーセージへと加工しました。また、肉以外の脂・内臓・血液・頭や蹄や骨に至るまで、あらゆる用途に利用されてきたという意味でも重要な存在でした。 で、ベーコンです。ラトビアの農民が好んだベーコンは、肉の赤身部分がゼロに近い、背脂の塊です。これを塩蔵した上で燻製して冬季の大切なエネルギー源としてきました。その製法は2段階に分かれます。まず、真っ白な背脂は大きめの塊に切り分け、大量の塩(岩塩)を揉み込み、数日間冷暗所で寝かせて、水分を抜きます。その後、これを燻製小屋で、リンゴの木やサクランボなどの果樹の木材(薪)でいぶしながら、数日間 ℃を下回る程度の温度で冷燻する。こうして冬のはじめに作られたベーコンは常温でも夏まで保存できるといいます。このベーコンを料理に使うことで生まれる旨味こそ、ラトビア農民の舌に深く刻み込まれた風土の味覚の原点であると言われていて、今も実に様々な料理にこのベーコンが使われます。 ③この料理の作り方(火の通し方)をめぐっても、「干鱈とジャガイモのミルク煮」同様に、極めて興味深いことあり。 以下、次号・・・・ ▲ 「TAPT」はアゲンスカルン地区ノメトゥ通りにあります。 スタジオ「TAPT」で開かれた「 Taste Latvia workshop 」に参加しました。多くの人にラトビアの伝統的な家庭料理を知ってほしいという思いから生まれたこのワークショップは、燻製ベーコンのパイ、カッテージチーズとライ麦パン、黒パンのデザート、燻製肉、ヤツメウナギ、夏至祭のチーズ、スイバのスープ、灰色エンドウ豆、ジャガイモとニシンなどを味わいながら、食にまつわる様々なエピソードを学んでいきます。 ワークショップの講師をつとめたのは、7年ほど前から料理の仕事をはじめたリヴァ・カルクレ=ウペニエツェさん。元は看護士をされていましたが、料理の写真撮影や動画制作を手伝ううちに、この道に入ったそうです。最初に出された〈ピーラーギ〉は、刻んだ燻製ベーコンと玉ねぎを詰めたお祝いごとに欠かせない三日月形のパイ。ラトビア家庭料理の基本的な食材としては、黒パン、ザワークラウトなど野菜の漬け汁、蜂蜜、クミン、カッテージチーズ、花粉団子(ビーポーレン)、カリンの砂糖漬け、ディル(香草)などがあり、これらを使って様々な味わいを作り出します。ウペニエツェさんがラトビアの家庭でよく作られるデザート 〈ルプマイズ・カルトユムス(黒パンの重ね)〉の作り方を実演してくれました。ライ麦の一大生産国であるラトビアでは黒パンは「国民の主食」ですが、数日で固くなってしまうため、乾燥した黒パンを利用した料理やデザートが考案されてきました。まず黒パンの粉末にクランベリーシロップと砂糖を加え、フライパンで軽く乾煎りしていきます。 ウペニエツェさんたちが発行する隔月刊誌「PieGalda!」 (テーブルへ)では、伝統料理のほか、生活を豊かにする料理や食材、食習慣を紹介しています。料理の試作や撮影にも、このスタジオが使われているそうです。 ガラスのボールなどに炒った黒パンを敷き詰め、その上によく泡立てた生クリームをたっぷり載せて第 2層とし、また黒パンを載せてから、クランベリーやラズベリーなどお好みのジャムを載せます。これを何層か重ねていくため、ルプマイズ(黒パン)のカルトユムス(重ね)と呼ばれます。出来上がったら冷蔵庫で1時間以上冷やしてからテーブルに運びます。調理前に仕込んでおくと便利です。 ▲薄く切った黒パンに、ディルを混ぜたカッテージチーズを載せます。ディルは爽やかな香りの定番ハーブ。カッテージチーズは脱脂粉乳を発酵させた脂肪分の少ないフレッシュチーズです。豆腐のように日常的に食べられます。 ▼ 燻製の鶏肉は温めずに、そのままいただきます。 ▲クミンが入ったチーズ〈ヤーニュ・シエルス〉は、夏至祭の時期によく食べられます。色々な種類のチーズを大皿に並べ、今年はどれが美味しいか家族で味わいながら批 ▲キュウリの浅漬けと豚のベーコン。ベーコンはスープの 評するそうです。蜂蜜をつけて食べます。 出汁やソースにも活用されます。 素朴に見えて手間のかかる〈スイバのスープ卵ぞえ〉。燻製した骨付き豚肉、ネギ、ハーブ、オニオンを2時間以上煮てスープをとり、一度濾してから大麦やポテトを加え肉を戻します。スイバは酸味を生かすため最後に入れ、カットしたゆで卵を追加します。 〈ヤツメウナギの西洋わさびクリーム添え〉。ヤツメウナギは高級食材のため、お祝いやお祭りの日に食べられます。強い脂味を抑えるために西洋わさびクリームを添えて、白いパンに載せています。日本では古来から目の衰えに効く妙薬として愛用されたそうです。ラトビアの伝統料理のひとつ、灰色エンドウ豆の「ズィルニ」。豆を一晩水に漬けておき 40分ほど茹でて温かいうちにいただきます。豚の脂身とタマネギをよく炒めた濃厚ソースをかけて、ザワークラウトを添えるのが定番。大晦日の夜に豆をテーブルに並べ、新年が来るまでに全部食べきらないと次の年に泣くことになるという言い伝えがあるそうです。地元でとれた酢漬けニシンに、新ジャガとカッテージチーズを添えた一品。ジャガイモがラトビアで普及したのは19世紀で、日本とあまり変わりません。最近は季節に関わらず、スーパーマーケットで何でも揃いますが、季節感や伝統行事に合わせた食を伝え、守りたいとウペニエツェさん。家庭料理を体験することは、その国を知る近道と感じました。 『 首都圏は米軍の「訓練場」 』毎日新聞取材班 大場弘行 著 藤原書店刊 米軍の「訓練場」といえば、東京都心と無縁と思われる方も多いかもしれませんが、実は新宿副都心から渋谷駅周辺、青山、六本木にかけての首都上空も、米軍ヘリが飛び交う訓練場と化しています。この問題を長期にわたり追っている毎日新聞『特権を問う』取材班は、都心を超低空飛行する米軍ヘリの飛行パターン解析や写真撮影、資料調査、インタビューなど粘り強い取材を続けてきました。 著者の大場弘行記者が米軍ヘリに注目したきっかけは「日米合同委員会」といいます。敗戦から 80年余り経った今も月2回ほど、在日米軍幹部が赤坂プレスセンター(六本木)の米軍ヘリポートに降り立ち、ニュー山王ホテル(南麻布)で日本の高級官僚と秘密の会合を開くさまは、厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥さながらの構図を連想させます。委員会の合意事項は国会にすら報告されず「密約」の温床となったまま、何も変化していません。そのひとつに「個々の米軍機の行動に関する事項は、双方の合意なしに公表しない」があり、こうした密約や日米地位協定をお墨付きとして、米軍ヘリは日本の航空法(最低高度など)にしばられず都心上空を自由に飛びまわっているといわれます。 興味深いのは、大場記者が行った外務省幹部 OBへのインタビューでした。1960年代は安保条約に関わる実務的な場だった委員会も、80年代には「儀礼的な会合」になっていたそうです。とはいえ委員会の存続に異を唱えれば省庁での出世に響くため、そのまま 40年以上も経ってしまったと語ります。 秘密の会合や六本木のヘリポートは、米軍の威厳を誇示する勲章かもしれません。しかし住民は発着するヘリの騒音や墜落のリスクといった実害にさらされています。この5、6年は羽田新航路の旅客機とヘリが交差することも多く、昨年1月にワシントン D.C.の空港で起こった米軍ヘリと旅客機の空中衝突事故が、都心で起きてもなんら不思議ではないのです。米軍のプライドや官僚の出世のために市民の生命が軽視されていいのでしょうか。日米同盟の根幹にあるものとは? それを問う意味が本書から見えてきました。 .genskalns Market リーガ市民に愛されるアゲンスカルンスマーケットでは、地元の食文化を知るためのガイドツアーが開催されています。ツアーガイドのビルさんは日本語を勉強中とのこと。彼のガイドで活気ある市場をまわり試食も楽しめました。市場が開かれたのは1898年。赤レンガ造の建物はラインホルト・シュメリングによって設計されました。130年近い歳月の中で、旧ソ連時代を含む人々の数えきれない思い出が刻まれたこの場所は、カールリス&マールティニュ・ダンベルグ兄弟と建築家リエネ・グリエジーテさんの手により現代的なデザインにリニューアルされ、2022年再オープンしました。市場に入ると、豊富な野菜や果物の種類に驚かされます。多くは地元の農家が直接持ち込んだ新鮮な野菜で、地元産には Viet .jie(ヴィエテユィエ)の表記があります。価格はキロ単位で記され全て量り売り。ジャガイモ、タマネギ、ニンジンなど基本的な野菜は、日本とほぼ同じ価格感でした。一方、オレンジや柿、リンゴ、ブドウ、キウイなどの果物はポーランド、ウズベキスタン、トルコなど近隣諸国のほか、オランダ経由で中南米、アフリカからも輸入されます。冬の長いラトビアで人々の食卓を支えてきたのは、ザワークラウトをはじめとする「発酵野菜」でした。かつて市場の顔となっていたのが、ザワークラウトの詰まった大きな木樽。その伝統と味覚を継承する農場直営のショップ「V .rpas」には、ラトビア産キャベツのキムチ、野生ニンニクのペースト、乳酸発酵のキュウリなど色とりどりの数十種類の保存食が並びます。さらに自家製ジャムや旬の野菜、果物、香ばしいパンと、ラトビアの農園の実りを凝縮したような品揃えですラトビアは豚肉の消費量がとても多く、豚の鼻といった珍しい部位も売られていました。「L .ko Sme.is」は、自家製の燻製肉や乾燥肉、ソーセージなどが充実しています。燻製肉は厳しい冬を乗り切る保存食として古来から作られてきたソウルフードで、あらゆる部位が燻製にされ、スープの出汁やパンの具材など様々な料理にも使われます。 「Zivju m.ja」(魚の家)には、地元漁師から仕入れた新鮮なニシン、タラ、バルト海イワシ、マスをはじめ沢山の燻製や日干しの魚が揃います。特に人気の珍味がヤツメウナギのゼリー寄せで、ぬめりをとってから燻製したヤツメウナギを容器に並べ、出汁に紅茶や塩を加えたスープを注ぎます。冷やすと天然コラーゲンが琥珀色のゼリー状に固まります。 「Za .ais kalns」は全て量り売りで、客は自ら重さをはかり、持参した袋や瓶に詰めます。豆類や穀物、乾燥ベリー、ハーブティーなど種類が豊富で、大麻の実もありました。大麻の実はサラダなどにかけると香ばしい風味を楽しめます。 「Molberts sald.jums」は新進気鋭のアイスクリームブランド。アールグレイ+バタークッキー+チョコチップ、チェリー+ダークチョコレート、ブラックチョコレート+マーマレード、リンゴ+シナモン+キャラメルなど、全て手作りの素材を使っているそうです。 「Bauskas alus」は、1981年から続くビール醸造所。昔ながらのラガービールに加え、近年はノンアルコールビールや伝統的なノンアルコールモルト飲料、ルバーブや洋梨、ブラックカラントのレモネードなど、ビール以外の売上も伸ばしているようです。 【 Webマガジン コラージは、オフィシャルサポーターの提供でお届けしています 】